ソラ画像

2020年9月14日(月)

篠山市 雲部車塚古墳の陪塚その2と物部とデカンショ節

 

*)雲部車塚古墳
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080810105...
左側が雲部車塚古墳で、遠くてわかりにくいですが,堀の外の右側のかすかに盛り上がったのが、陪塚その2で、そのアップが下段です。
御覧のように山に囲まれた静かな兵庫県篠山市の田舎町に、円墳の外観からは想像もつかない内部の品々は、埋め戻されていて、内部の様子は遠く離れた姫路市の兵庫県立歴史博物館にあるだけで、決してこの古墳のある篠山市には、塚の内部の豪華さなどはなんら紹介がしてありません。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20170130232...
今回ここへ来る道中に、右目にきついサインと共に、物部の守屋が降りてきました。
丁度デカンショ通りと呼ばれている道路あたりで、デカンショとは、「でっかいでしょ」という意味でない?と、同行者がつぶやきました。
まさにその通り、物部の守屋はとても大きなイシジンだったようです。
ちなみに隣の春日町で物部は亡くなったが、その分身が倭の国に逃げ延びて、私市丸山古墳になったと伝えてきています。

若い頃から、なぜ高い山に囲まれているわけではないのに、丹波と言うと田舎者とバカにされるのか?気になっていたことを以下のようにメモしていました。
*)デカンショ節「丹波篠山山家の猿が・・・」は旧制一高で歌われていたと聞いていますが、丹波=山国で田舎として侮辱されてきたけど、もっと山奥の村が多いのに、なぜか不思議でした。
雲部車塚古墳が出たことと関係あるのでないかと、それ以来浮かんできていますが、物部の関係が多く残されているので、何としても知られたくないのだと国を挙げて嫌がらせをしてきたのだと。
沢山の立派な武具が出てきたこの古墳は、今では皇室の管理になっていますが、付近に家も無い外観は全く小さな小山を皇室関係とするのは、どうみても無理と思えていました。
篠山市には古墳の外観しか?写真の紹介がないも不思議でした。
そして読者から知らせてくださったたくさんの古墳のサイトを見て驚きましたが、綾部も1000からの古墳があるそうですが、小さな古墳は興味が示されず名前すらないようです。
http://aokou.net/memo_iseki.html

♪丹波篠山山家の猿が(ヨイヨイ)
 花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)

兵庫県は日本一古墳が多く遺跡も2番目に多いそうで、溜め池も一番多いそうです。


2020年9月14日(月)

篠山市 雲部車塚古墳と陪塚その1

 

https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200912125...
のビジョンは、大小の半円を3つであらわしていますが、この古墳は陪塚を両脇に持っているのも、
同じことをあらわしているそうです。
すなわち中央の大きな塚に、太陽がエネルギーを与えることで、この塚の中でたくさんの品物が具現化したことを知らせているそうです。
*)雲部車塚古墳
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080810105...
*)雲部車塚古墳の内部
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20170130232...
*)雲部車塚古墳の陪塚。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080810110...
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200914232...
*)おまけでたまたま見つかった3つの雲
https://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=202007302...


2020年9月14日(月)

洞中古墳の花や岩

 

https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905125...
の時は、まだ割と咲いていましたが、今回は5cm足らずで必死で咲いて待ってくれていたようでした。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905131...
は薄紫で、弱って行く感じがしましたが、今回は真っ白で咲いて待ってくれていました。
実物はもっと輝く様に白く感じました。
小さな三角岩は、1号墳の丈の長い叢の中に隠れて、古墳になったイシカミを見ていたようです。
割と大きな2号墳の麓にあった岩で、その横にはとてもたくさんの栗や柿がなっていました。
この他、春のように、柔らかなワラビの芽がたくさん生えていました。


2020年9月13日(日)

篠山市 洞中古墳2号墳

 

https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905125...
が何度も浮かんでいた古墳ですが、8月に1号墳に行った時はそこから歩いて行ける古墳なのに、どこにあるかわからなく行けませんでした。
今回は歩いて行きましたので、こちらからの風景は撮れていません。
ビジョンの太陽の部分に枯れ木が残っていますが、沢山の柔らかいワラビの芽や、周りは驚くほどいっぱいなった栗や柿の木があり、木星が力を与えてくれているようです。 


2020年9月13日(日)

篠山市 洞中古墳1号墳

 

https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905125...
の抜けた向こう側はどのようになっているのか見たくて、入口の右側から進んで行くと、小さな水路が隠れ、大きく茂った雑草をかき分け慎重に進んだ先は、このようにきれいに草が刈ってありました。
土手の草も刈ってあり、最初に訪れた時に、女の子のミナノコの古墳と言葉になっていましたが、顔のようでもあります。
これまで来た時に咲いていた赤い極小さなユリの一輪が、一生懸命咲いて迎えてくれました。