ソラ画像

2020年8月2日(日)

洞中古墳1号墳

 

向こうが抜けている古墳で、天井から落石があるようですが、それ以上に柵の↑は天井が高くなっています。
2008年にも行き読み直してみると、忘れていて女の子の古墳と書いていましたが、今回は体の中をあらわしていると言葉になりました。
天井が高いのは子宮の袋をあらわしている?
それにしたら、外側の巨石が何をあらわすか?
今のところわかりませんが、おへそ?
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905125...

以前から何度か浮かんできていたかわいい古墳がこれでした。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905125...
近くまで行きながら寄れなくて残念でした。


2020年8月2日(日)

丹波篠山市 明月神社2

 

案内板には
神社後方は絶壁状の岩山で、一瞬の地盤沈下で裂けた岩が鏡のようになったそうで、裂かれた岩の片側は神社の下にあると言われているそうですが、鏡岩はあちこちにあります。
初期には、泥玉のように光り輝いていたと思われます。


2020年8月2日(日)

丹波篠山市 明月神社1

 

後鳥羽天皇(1188年)創立。
この裏山の頂上には、山城があったそうで、脇に石段があるので登れるのかなと思ったのですが数段で、祠があり先に道はありませんでした。
同行者より
・・・最後に行った明月神社ですが、裏山に小坂城という山城の城跡があるようで、
四王寺古墳群というのがあるそうです。
https://www.city.tambasasayama.lg.jp/photo_history/2/bunkaz...
>小坂集落の山麓には、数多くの古墳が見られます。銀象嵌太刀が出土した「沢の裏古墳群」、を伴った円墳を盟主墳とした「箱塚古墳群」といった古墳時代後期の古墳が数多く点在しています。

金属製の太刀?が出土しているそうで、金星が関係しているとおっしゃっていたのに繋がると思いました。
今日の神社を右に進むと、登山口が出てくるようですが、登山口から数十メートル先に石室もあるそうです。
篠山のたくさんの遺跡を紹介しているブログがありました。
http://aokou.net/memo_iseki.html
上から15番目くらいに四王寺谷古墳の写真があります。
クリックすると石室が見られます。
他にもたくさん古墳があってびっくりしました。・・・

本当にたくさんの小さな古墳があるので驚きました。


2020年8月2日(日)

篠山市 妙霊教2

 

教祖のお墓の足元に、置かれた石で”石拝”と書いてあるので、イシカミのことを最初は受け入れていたのでしょうが、教祖を拝ませるように置かれているのは、やはり支配星に支配された宗教となっていったようで、石碑の土台は真っ黒になっていました。


2020年8月2日(日)

篠山市 妙霊教

 

読者より
「天理・金光・黒住・妙霊・先走り・・・・・」は有名な言葉だそうですが、妙霊教というのは初めて聞きました。
篠山市が本部ということでちょっと行ってきました。
石垣は黒っぽいのですが、一部白っぽいのが、私には狛犬のように見えましたが、排水ロから水が流れるためとわかりました。
ここに金星が降りた、と言葉になりましたが、篠山のこの近くには物部の守屋が倒れた所の神社
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20110228215...
守屋のために急いで武器になったという雲部車塚、
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20170130234...
物部は馬を大切にしたそうですが、馬が創られたという竈塚
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905115...
などが近くにあり、これまで知らされたこととつながっていきました。


http://blog.livedoor.jp/insight246/archives/59530436.html
さんより
天理・金光・黒住・妙霊・先走り・・・・・」これは大本教開祖・出口ナオ(1837~1918)のお筆先「大本神論」のなかの有名な一節だ。

明治二十五年(1892)二月三日の節分の日、京都府の綾部で産声を上げた大本は、自分たちに先行する教団として、これら四つの教団を名指しであげた。

ちなみに、四教団を開教の年次で並べ替えると、黒住・天理・金光・妙霊の順番になる。これらの四教団のうち、奈良県の天理教、岡山県の金光教と黒住教の三つは良く知られている。しかし、兵庫県多紀郡笹山町の妙霊教はあまり知られていない。この妙霊教は山内利兵衛(勢位)が文久三年(1863) 開教したもの。

青年時代の上田喜三郎、のちの大本の聖師・出口王仁三郎(1871~1948)がここを訪ね、妙霊教の二代教主・山内利太郎(利勢)から教えを受けている。

「天理・金光・黒住・妙霊」の四教団は、幕末期までにはすでに宗教活動を開始していた。・・・