ソラ画像

2017年1月30日(月)

兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳 内部

 

先回生き石などの遺跡巡りをした時に、「次回の学びはここに来てください」と言葉になっていました。
下から読んでくださるとわかりやすいです。


2017年1月30日(月)

兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳 内部

 

石箱の中は開けられていないそうです。


2017年1月30日(月)

兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳 内部

 

姫路市の兵庫県立考古博物館に展示されていますが、兵庫県篠山市の雲部車塚古墳 は、同じ兵庫県とはいえ、あまりにも離れたところにあり、篠山の山に囲まれた村にある、小ぶりの古墳の中にこのような品々が埋もれているとは、決してわかりません。


2017年1月30日(月)

兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳 内部

 

先回見た時は、気づかなかった?鎧もあり、刀もとても立派なモノでした。
イシカミの原子が変化したというので、出雲の銅剣と同じと思い込んでいました。
出雲より遅くに降りてきたイシカミで、いろいろな知恵を授けられたからのようです。
明治時代に、明治政府が古墳を天皇家のお墓としてあがめさせるために、篠山市の古墳でさえ、宮内庁管轄にしたようです。
明治時代にこの古墳に人が入って出てきた時は、真っ赤になって出てきたそうですが、塚も生きている(=血が流れている)ことを知らせたそうです。
石箱はイシジンが創られたと一貫して伝えてきます。
そのイシジンが何人も創られたので、複数の鎧があるようです。

このような古墳が山に囲まれた田の中にあるのに、宮内庁管轄?
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080810105...


2017年1月30日(月)

兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳

 

王が葬られた部屋(塚の内部)
先回来た時は宮内庁が撮影禁止としていましたが、今回は撮影ができました。
出雲の銅剣の遺跡とダブって記憶をしていて、改めてよく見ると全く違うように見え、とても不思議な感じでした。
山に囲まれた兵庫県篠山市の田園の中の古墳で、とってつけたようになぜここまで宮内庁がと、不信感をさらに募らせていました。
ソラからの情報では、ヤマトから責めてくるので、イシカミたちが降りてきて山になって山城となったりしたが、このイシカミは物部氏のためにこのような武具になったが、物部氏は近くでやられて間に合わなかったと、赤いのは今はただの丘だけど、生きていたことを知らせるためと。
ちなみに物部氏の亡きがらは春日富士の麓で巨岩と知らされました。