2019年7月20日(土)
ストーンサークルの石、
空き家にさせられた実家の石で、2000年頃、2015年の画像です。
一番最初に見た時は、怒っているように見えたのですが、ソラにあがってと伝えていて、全く違う表情になったようです。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20110911020...
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20150127222...
早くから最初のストーンサークルの岩と伝えられていますが、セメントで固められているので、水を流してもらいました。
顔が四角いようになっていて、大きな目と、ちょっと傾いた口のように見えるようになりました。
頭上?の二つの窪みが、ちょっと気になります。
7月に入ってから、思わぬことを明治初期の先祖や祖父や父の姉弟から、いろいろと伝えてきていましたが、実家に入れないので関わらないでおこうと思っていたら、だんだんとおーばーなけれど生きる気力がなくなっていくようでした。
それで近くの読者の皆さんの応援で、実家に行き、一番気になっていた爆弾の木の根を切ったり、庭の手入れをしていただきました。
*)爆弾の木、何本にもなって切るのも大変でしたが、根は本当に掘るのが大変で、皆さんのお陰で切り取ることができました。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20151102214...
実家で仕事をすることで元気になるのは、いつもながらウソのようでした。
2019年7月18日(木)
星原 藪ノ下、井の谷
昔は中央部の畑の下に田が続いていましたが、圃場整備をしてから神社の前に田になりました。
道を挟んだ山側の土地も斜面ですが、畑だったそうです。
以前にこのあたりの田に金属製のジグソーパズルがたくさんばらまかれていた夢を見ました。
井の谷は昔は、湯ノ谷と呼んでいたそうです。
この他、アラマと呼ぶ高速道路の近くに大きめの田があり、石伊根の巨石があった近くにも田があったそうです。
初期の頃から知らされていることは思ってもいないことばかりですが、、現実のいろいろなことと、まずます合ってきています。
私の最後の仕事のようですので、何か意味がわからないでしょうが、紹介しておきます。
2019年7月18日(木)
星原 岼蔭(ゆりかげ)
この道路の下の田は、兄が亡くなったらすぐに道路にされていました。
お寺の下の人は、白木家の横穴の跡に石垣を創り、今井家のお墓を造っています。
2019年7月18日(木)
星原 奥路(おくじ)
今年の1月6日の先祖が降りてきて実家へ行ってほしいと言葉になってから、祖父や父の姉弟などが、弟やその3男が養子に入り、家も土地も放置することになったことで、いろいろな事を伝えて来ました。
驚くことばかりですが、これまで伝えてきたこととつながり、何としても知らせてほしいということで、昼夜共に降りたいのか?眠くて仕方がありません。
もう関わりたくないのですが、父が生前に何とか私に伝えたかったのでないかと、数少ない記憶がつながっていくようで、せめて記録に残しておこうと、身近な読者の方にはお伝えしています。
赤線内は実家の裏山と白木家の株内のお墓、畑なのですが、左の欠けた部分は、後から来たと伝えられた柏原家、今井家のお墓で、大きく崩れています。
この小さな谷に実家の周りに、四方家4件、今井家が取り囲んで、田は隣の有岡町にありました。
点在する入母屋の家のことはいろいろと伝えられることが、これまでのことなどとつながりますが、現在も住まわれていることで公開することはできなくどうしようもありません。
そのことが不足らしく寝むらされるのですが、私の最後の仕事のようで、とりあえず公開しておきます。
2019年7月18日(木)
星原 別所(べっしょ)
右側が、いて座の王と言われた実家の裏山の反対側です。
白木家の分家の裏に畑がありましたが、今は荒れています。
本家と言われた家は今はありませんが、子供の頃、なぜ本家なのに貧しかったのが不思議でしたが、ホシノベの本家というので狙われたので貧しい家にしておいたと、知らされ納得できました。
左奥に何枚かの田がありましたが、荒れています。
夢やビジョンで、沢山の大きな魚が、この手前の細い川にいるのを見ましたが、この星原川で魚などをいて座の王が送り出したと伝えてきていました。
手前の三角の土地でわかるように、断絶させられた時に、全て広い土地は取り上げられこのような三角の土地だけ残されたようです。
ちなみに地名は、「大の」と呼んでいたことでもわかるようです。