ソラ画像

2025年5月6日(火)

兵庫県立播磨中央公園 下の山古墳1号墳

 

同行者より。
播磨地方のイシカミ巡りをしてきましたが、ミナノコたちが頑張って創ってくれたようです。
入り口はとても小さいので入るに大変ですが、天井はたっかう入ると6、7人は入れる大きさだそうです。
羨道の入り口の土を排除してもらえると、せっかく創られた立派な内部がよくわかり多くの方に見てもらえるのにと、先日から訪れている愛媛などの古墳と同じことを感じています。
見た目はかわいい古墳ですが、大きな木が雄しべの多い白い花の満開でした。


2025年5月6日(火)

アトランティス文明1

 

 

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以下読者がわかりやすく描いてくださいました。

イシジンの文明は、アトランティス文明で、中東からヨーロッパに広がっていて、その証拠を残しています。
初期の劇場型などは一つの岩の塊(イシカミの親)でできていますが、ローマ時代に有名ないろいろな建物など、文明は最高に発展していきます。
イシジンは親のイシカミと会話ができたり、想像を絶する巨大な巨人や、到底人間ではできない石の建造物などは、柔らかかったのでイシジンと一体化することができ2000年も剝がれることなく尖塔の上にイシジンが立つことができるのです。
いて座とシリウスの合同作品というのを、半円と長方形の形で表しています。


2025年5月6日(火)

初期のイシジンと古墳

 

 

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2025年5月6日(火)

イシジンから人間に

 

 

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イシジンの文明はアトランティスで、全ての希望が叶うほどになったが、それをねたんでヘビ座が、イシジンを固めることにしたので、その文明を後世に残すために人間を創ることにしたのです。
そして念願の全てを実現したアトランティス文明は、イタリアを靴の形にして、前に進むようにと、文明の一部を残して海中へと沈没して行ったのです。


2025年5月6日(火)

イシジン誕生2

 

読者より
最初にいて座より降りてきたイシカミは、ツチジンとして具現化しましたが、土に戻ると自分たちの存在が忘れ去られるので、しっかりと固まった石で残そうと、日本より西に向かって馬(=いて座)で連絡をしました。
それでペルシャやヨーロッパでは石の人や建物が多くなったのですが、石になるにはエネルギーがたくさんいるので、巨大化していきました。