ソラ画像

2021年11月30日(火)

三田市 有鼻古墳 8

 

階段の上はいろいろな遊具のある子供遊園地で囲まれた遠景の有鼻古墳です。
周りはたくさんの住宅が建っていますが、その前に遺跡を調査してくださっていた資料を見ることができネットのありがたさを感じています。
読者から知らせてくださった遺跡の調査資料のサイトです。
https://15726469.at.webry.info/201611/article_8.html
https://15726469.at.webry.info/201604/article_9.html
今はベットタウンになって戻されていますが、沢山の土坑があったようです。
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/622/30/N000/000/00...
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/622/30/N000/000/00...
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/622/30/N000/000/00...
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/622/30/N000/000/00...
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/622/30/N000/000/00...
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/622/30/N000/000/00...

そしてたくさんの遺物も出ているようですが、それは今はどこにあるのかとても気になります。
有鼻遺跡のあったのは三田市の低い山で、今では大きなベットタウンの町になっていますが、三田ではあちこちの低い山がベットタウンになっています。
有鼻古墳は丁寧に調べられて山の上にたくさんの土坑があるのがわかりましたが、今は木が生い茂って全くわからなくなっている遺跡が、世界中に想像を絶するくらいあちこちにあるのでないか?
そのことをこの遺跡は知らせている重要な遺跡と思われます。
又、土器とか石器の簡単なので、出土しても軽視されているのでないか?
どこの資料館にもあまり意味のない遺物として、しまわれて日の目を見ていないのでないかと思えます。
それと土坑は住宅の柱跡と思われているのも、その不自然な配置が気になっています。


2021年11月30日(火)

三田市 有鼻古墳 7

 

↓を通り過ぎて、その先の半分はこのような道で、出口に出ます。
子供たちが入らなければ見つけれなかったのと、その後訪れてくれて大きなオーブで木星の悪に支配されていたのを削除してくださっていたので、今回は何も映りませんでした。


2021年11月30日(火)

三田市 有鼻古墳 6

 

入口から半分回った所で、このように向こうに長い平地があり、向こうは急斜面になっていました。
その後行った有馬富士公園の、墳丘に続く長い突出部に似ていると思いました。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20211129064...


2021年11月30日(火)

三田市 有鼻古墳 5

 

木立でわかりにくいですが、頂上には何もないけど、このようにこんもりとした小さめの墳丘のようで、周りに道ができていました。


2021年11月30日(火)

三田市 有鼻古墳 4

 

やぶを潜り抜けると、このような道ができていました。