ソラ画像

2020年4月26日(日)

12指腸と食物と手とダビデ

 

4月25日寝る前の《ビジョン》
“白い微粒子が浮遊している。それが動くモノの形になり、最後は沢山のパラソルが並んでいる”
その後「広い世界に行きたくない」「人は集まるようになります」などをメモしているも意味は不明。
目と目の間の鼻の部位にサインあり。

《ビジョン》
“チューブに入ったモノに蓋をする手首、
次に長いサラシのような白い長方形に真ん中に、チューブから出た半固形物?を、目の粗い布?のようなモノで包んでいき、最後は長方形の塊になる“
意味は
本当に全く見当がつかなかったです。
手の動きがはっきりとわかり、チューブに蓋をしっかりと閉めていました。
なかなかわからなくケチャップの容器かと思ったのですが、チューブは12指腸をあらわし、消化されたモノを貯めてだらだらと出さない為のようでした。
すなわち食事と食事の間はだらだら食べないことが大切で、その間に内臓を休めてあげることが大切ということです。
https://kotobank.jp/word/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%8C%87%E8%85%...

「食べ物をだらだら食べることは、内臓を休める時がないので、一旦休むことが大切とキャップをしたのです。
それら消化された食べ物を、シリウスの細かい長方形のミナノコの集まったモノ(晒様)が、まとめて、それから食物の原子が、エネルギーや知恵を与えているということを知らせました。
又、手が大きな働きをするということで、“ダビデ”とは、“高い処で仕事をするヒミコの手”という意味です」

「タラ=高い処に行くのに楽をする」
という言葉もメモしていました。
昨日、紹介された死海文書の発見されたクムラン洞窟に続いて、ダビデの墓というのを見ていました。
https://www.youtube.com/watch?v=euhZ7dJozeo


2020年4月25日(土)

実家の裏山とお墓

 

裏山は実家の持山で、赤い線が白木家のお墓が6軒分(1軒はよそに移動)並んでいます。
それに対して黒丸で示したS家のお墓は、バラバラで、丸で取り囲むように単独であります。
実家の周りや、かって傍にあったS家の墓で、特に上の方にポツンとあるのは実家の前の家で
なぜ隠れたように離れてあるかとソラから詳しく伝えてきています。
そして実家のお墓のすぐそばは、K家に次いで実力者であった?のが手前の家です。
左側は横井戸の前にあり、その右は実家の傍の家です。
ということで、刺し方でホシノベの家を囲んでいたと、ソラからは知らされたことで、変わった配置のことが納得できました。

赤線の右側は、子供の頃は裾から上まで畑で、先日登った裏山に続きます。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200201222...
子供の頃は秋に薪を取りに行っていましたが、完全に封印されたようで、その近くに物部の祖の館があったとは思ってもいませんでした。


2020年4月25日(土)

母の実家の傍の横穴

 

子供の頃、よくお邪魔させてもらっていましたが、この記憶はありません。
志賀郷の谷の一番奥の方ですが、この家も全く思ってもいなかったことを、ソラから伝えて来ましたが、現実に叔父はそのことに気づいていたようで、新聞記事になっていました。
すなわち、大石クラノスケもイシカミを信じていて、先祖に脱藩させて、ここからムウラを守る元伊勢を守るように言われたと。
https://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html
実際叔母たちは元伊勢参りを良くしていましたし、お墓は山の中に隠れたようにありました。


2020年4月25日(土)

イシカミの怒り

 

https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20190811213...
高額のお金を払って圃場整備をした田もこの通りです。
先日は朝起きたら舌の横が腫れてなかなか治らなかったのが、
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200422000...
などを書き込んだら翌日には完全に寝ている間に治っていました。
今回はやはり朝起きたら、右手中指に大きな発赤ができ、次第に大きくなって化膿してきて、なぜかと聞くと、↓のことを書きこまないからと、そして寝させてくれないので、厳しいことですが、紹介させてもらいました。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20140822133...
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20150127222...


2020年4月25日(土)

旧実家のお墓から

 

向かいに君山(城山)と向かい合っています。
小さな谷の村なのに、なぜ星原というのか、子供の頃から不思議でしたが、チャネリングが始まって知らされたことで納得できました。
昔の倭の国のころは、大平原であったが、いて座から次々と降りてきたために山が多くなったということでした。
こちらの方が低い山ですが、早くに降りたいて座の王と伝えられています。
星の宮神社の前の道を曲がると、ここに桜の大木があり、とても目立っていましたが、父が亡くなると同時に枯れました。
老木のサルスベリは、分家の跡取りが変わってから、木の葉が落ちるからと文句を言われるので切ったと、普段は穏やかな兄が言っていました。
隣には、白椿の老木があり同じく切られていましたが、今年は一輪咲いて迎えてくれました。