2020年4月21日(火)
実家の田
区画整理で家から遠くなったと母が悔やんでいた田で、星の宮神社の前になります。
小さな橋がありますが、夢で
”橋の下を覗くと、川だけでなく海の大きな魚までびっしりと泳いでいる”
という、とてもはっきりとした夢を見ました。
意味は
「裏山のいて座の王から流れ出た原子たちが、魚に変化したことを知らせました」と。
2009年4月4日に、この画像の左側に、三田市の羽束川の石でストーンサークルを作ってほしいと、何度も言葉になり、地元の同級生に造っても良いかと聞くと、邪魔にならないのならいい、ということで創りました。
その後4月9日に再び行ってほしいと言葉になって行くと、石が蹴飛ばしてあり、二人の男性が
怒ってきたので撤去しました。
その後、君尾山に創ってほしいということで、山の上の少し開けた所に創りました↑。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200422000...
遠くに寺が見えますが、この山の続きが↓の画像の続きでもあります。
母は生前「タエコには(結婚する時)何もしてやれなかったので、田の一枚でもやってほしい」と何度も兄姉たちに言っていましたが、私を家に入ることすらさせなかった弟を怖がって、兄は「(私が勤めていた頃は仕送りをしていたのに)すまんのう」というばかりでした。
2020年4月21日(火)
実家の向かいの山
子供の頃に星原の山の神を祭って、男の子が向かって行ったので、2008年に行ってみようと思い山に入りかけましたが、このような状態で、数mしか進めませんでした。
それで実家の裏山へ行く時も覚悟をしていたのですが、「最初だけで山の上は歩きやすい」というような言葉になっていたら、本当で驚きました。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200201222...
プレアの王であり、極悪木星の王が降りた山ということで、
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200420184...
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200420184...
の右端の方です。
2020年4月21日(火)
驚いた?
実家の横井戸が崩れていたのを見た日で、↓の同じ日の君山の上の雲です。笑
2020年4月21日(火)
ねむの木 2と君山(城山)
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200420184...
の昨年の7月のねむの木です。
昔は一本もなかったけど、これは川沿いに生えていて、子供の頃は水遊びをしていました。
子供の頃に兄がウナギを捕まえてきてくれましたが、それは君山のプレゼントだったとソラから知らせてきた時には驚き、全ての体験はやはり成層圏に記録されて保存されていると改めて思いました。
ウナギや稲刈りの楽しかったことも、全て忘れ去られ、眠ったことを知らせるねむの木を繁殖させたのも、向こうに見える君山(城山)のようです。
山頂に石が並べてあった君山は子供の頃に上りましたが、山城だったようです。
兄はいつも登っていたそうで、昔は子供たちは簡単に登っていたのは、綾部の高城山の地元の人も同じことを言っていました。
2020年4月20日(月)
ビジョンの小山
【2021年3月5日追加】
以前からこの横を通って星原へ行きますが、この三角山が気になっていましたが、ついにその意味がわかりました。
右手薬指にサインあり。
「やられるものが知らせています。
アラマに降りたモノでした。
それでウナギで知らせたのです。
海へビ座のモノでした。
それでいて座のモノをいじめていたのす。
ホシノベに食べられたからです。
海へビ座が宇宙を支配していたからです。
それは真実のことです。
そのことを伝えることで、地球は残ることにします」
”ウナギ”とは、子供の頃兄がこの三角山の前を流れる星原川(小呂川)でウナギを獲ってくれたことがあったのをはっきりと覚えています。
大本教の言葉で「梅で開いて松で治める」というのがありますが、
ウメ=産む、コロナでソラが嫌なモノ(オリンピックや宴会など)がなくなり、ア=天、ラ=ラクになる。
ということで、祖父母の名前は梅がつきますが、海へビ座が出てきたことで良くなる?
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200401063...
のビジョンを見た時、この三角山が浮かびましたが、かって何度も言葉になった君山と向かい合っています。
↓の石伊根のあった山の続きです。
左側の植林がしてあるところが、実家の畑で子供の頃は麦が植えられていて、麦踏みや草削りをした畑でした。
(当時は何も知らない頃でかわいそうなことをしましたが、キジが卵を産んでいました。
そしてかってヤマトに山彦のホシノベ一家が襲われた時、”キジも鳴かずば撃たれまい”のことを言われたと伝えられています。
その他、百人一首の”奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき”なども)
この手前で道路側に田が一枚と、少し下に実家の田では一番大きな田があり、稲刈りの時はお弁当持ちで行ったのが楽しくてよく覚えています。
又かっては巨石のあった石伊根の傍にも田があったそうですが、その頃はもう田植えには行っていませんでした。