ソラ画像

2019年1月15日(火)

ビジョン

 

1月11日真夜中目が覚めて
“大きな透明の水玉が数個下から上にあがって行く。そのバック?に黒い微粒子が浮遊している?
次にその微粒子が渦巻きになり。
その後立石のように細長い岩?の先に、白黒の縞模様の短い棒状がぶら下がっている。
その前面に巨大な?が太い枠であらわれる“
意味は
「極悪の水星が、いて座に海へビ座を創るように教えたのです」

1月11日は1が並び、スタートをあらわすせいか、夜中に何度も目が覚めて沢山のビジョンを見せてくれました。
その他に《ビジョン2》
“薄い黄緑の半円が左側にあり、その両端から3角形が増殖して行く。
その形に沿って白い馬や犬や鳥?のような模様が出てくる“
意味は
「薄い黄緑は、良い木星をあらわし、それは植物を育てているので食物の元となっている」

《ビジョン3》
“薄白い角が丸い縦棒が、いくつが集合し、その中央に目と口があるのが、次々と現れては消える。白いモノは多いのから少ないのでいろいろな形でもある。
次にその白いモノは長いモノで、それも同じように集合して目口があり、意識を持つモノの様であり、それが3つほど次々出てきて、最後は白馬、次は雲のようになって消えていく“
意味は
「短くて薄白い縦棒はミナノコでその集合体がいろいろな物質となり、もっと長いミナノモノの集合体が更に大きなモノになったことをあらわしました」
*)縦棒の形は大腸菌とそっくりでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%85%B8%E8%8F%8C

《ビジョン4》
“白い粘土で創られた部屋の様子が3通り次々現れる。部屋の中にはテーブルの上などにいろいろな品物があり、それぞれの場面はすべて違うモノである”
意味は
「アトランティスで3つの仕事をしたということです?
思いを持った原子たちが並ぶことでいろいろなモノになれることを知らせました」


2019年1月7日(月)

星原4

 

今回1月6日に急に来てほしいと言葉になったのは、29歳で亡くなった文造という先祖の命日が、↓の1月6日でもあったのですが、ここを見てほしかったそうです。
ここは実家のお墓で山彦が埋められたと伝えられた場所の上になり、白木家の分家のお墓の横でもあります。
一目見て石箱の遺跡と思われましたが、やはりそうだと言葉になりました。
ここの場所は実家の裏の小山の一部ですが、この横は頂上まで白木家の畑や柿の木や栗の木が植えてあり、山伝いに昔は薪などを集めに行っていました。
この小山にいて座の王が降りてきて、麓の星原川で魚を創ったと、言葉になり、その頃何度かの夢で見ました。
小さな川ですが、大きな魚などがたくさんいる夢で、今でもはっきり覚えています。

*)ここで見た雲で、とても穏やかなあたたかな日でした。
https://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=201901062...
*)初期に伝えられた星原などのまとめです。
https://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20040617172756
*)星原の小さな谷、植林された小さな三角山とその横の並びが、君山です。
https://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=201901062...


2019年1月7日(月)

星原3

 

 

※この記事は会員用です。読者の方のホームページでも引用等はしないでください。

 

潰された横穴の前に、昔は気づかなかったけどいつの間にか四方家のお墓がありました。
竹藪の向こうには、”山尾”という子供のない老夫婦が住んでいましたが、父が亡くなってしばらくしたら、突然「横穴は星原のモノだ」言い出したそうです。
一軒だけの苗字で、岸にとってつけたような家で、どこに田畑があるのかわからないようでしたが、武士のような風貌の老人でした。
知らせてきたことは、横穴を白木家から取り戻すという目的で、明治政府から送り込まれてきた夫婦ということでした。

向こうの赤土の山崩れの前は、星原の権力者であった瓦屋根の柏原家があります。
氷代(ヒシロ)と呼んでいましたが、北向きの寒い地域です。
山頂には山城の星原城跡があるそうです。
この山にそってお寺がありますが、この山に極悪木星の王が降りてきたと伝えられましたが、このような山崩れがあちこちにあります。
その細長い山の一番向こうの先端は石伊根と呼んでいて、今は高速道路ができ面影もありませんが、巨石がありその上から、イトがヤマトに連れて行かれるのを、山彦が見送ったと伝えてきて驚きました。
私も昔、見た夢で、石伊根にとても大きな巨石があったのを覚えていますが、戦争前に爆破されたとも姉から聞いていました。


2019年1月7日(月)

星原 横穴2

 

実家の家の前の家も驚いたことを知らせてきたことの一つが、前の家や庭と畑もでその畑からは、一番最初に人間が創られたというストーンサークルの石があります。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20140822133...
白木家はホシノベとして、断絶させられたと何度か言葉になっています。
大きな山吹の株があるのも、「山吹の実のひとつなきぞかなしき」という歌の元とも。
その前の家の横穴とされていた内部ですが、チャネリングではここから先祖の女性が生まれたと。
黒い四角で極悪のシリウスのミナノコが支配してきた?
ちなみに他家の石垣にされた崩れた横穴は男性の先祖が出てきたのと、物部氏と一緒に千早赤坂から逃げかえった山彦の子孫が隠れすんだと伝えられ、その時に三叉路に食べ物を運ぶようになったとも伝えられました。


2019年1月7日(月)

星原 【追記】

 

夜中ほとんど眠れなく実家へ来てほしいと言葉になって、眠れなかったので又次の日に行くと言っても、どうしても今日(6日)に来てほしいということで行ってきました。
これまで山道を登れないからと、兄嫁と姪(兄)がこれまでの墓石を処分して、下の方に白木家のお墓を移していました。
昔からのお墓のことは、とても詳しくその謂れを伝えられていたので、とてもショックでした。
プレアがホシノベを途絶えさせるために、白木家断絶の計画がなされたと伝えられていたことが、本当になったのです。
それらの人たちは故人で、私を一切実家に入れさせない人たちでした。
ただ、先祖の特に祖父母の自然石は意味のあるお墓でしたが、向田のソラの家の傍のお寺に、ぎっしりと詰め込まれているのを見つけた時には、本当に驚きました。

兄が亡くなって初めてお墓を見てきましたが、お寺で記載されていた先祖のことが書いてありました。
そこに記載がされた最初の先祖が明治元年で、江戸時代に生まれていました。
横穴から生まれたと知らせてきた時、本当に驚きましたが、江戸時代ならありうると。
又家も200年から経っていることも、、。
もっと驚いたのは、29歳で文造という人が亡くなっているのが、1月6日でした。

手前の処が三叉路になっている場所で、昔ここに食べ物を供えていたことを聞いていましたが、思いもよらないことを伝えてきました。

横穴の跡に、他家のお墓の為の石垣がつくられていてとてもショックでした。
あそこは道の前にも畑があり白木家の横穴でした。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20190125022...

21019年1月30日
眠れず極短時間ですが見えた《ビジョン》
”入母屋の天井を中側から見た風景で、新しい萱で葺かれている天井裏”
家も意識を持っていると感じさせるビジョンでした。
最近、空き家になった実家のことが気になっていました。
次の日、この石垣の上に建てられたお墓の画像を、先日星原へ同行された方が送ってくれましたが、見た途端、吐き気と腹満でエネルギー体が入ったようでした。
この実家の裏の小山の家側は、全て白木家ですが、横の部分は後から入ってきたお寺がとったと思え、かろうじて芋穴だけ維持してきたでしょうが、それも兄が亡くなった途端、石垣が建てられお墓が建てられたようです。
ストーンサークルを強固に排除させたお寺の下の家と同じ今井姓のお墓でした。