ソラ画像

2013年11月25日(月)

綾部 高城山

 

2年ほど前からこの山が気になっていました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2013112419...


2013年11月25日(月)

ソラから知らされたこと

 

【地図に書かれていることは、子供の頃のことや、98年に体験したことを書いています】
星原の南側の山で、星原城があったと記録されています。
この山に木星の王であり、プレの王が降りたと知らされています。
98年にプレの女王に支配された時、この山の手前の近くの農道に、30cm位のクワで削ったようなサークルがあり、そこが地獄の入口と知らされました。
そこに塩を高く盛り、線香の束を刺して、般若心経を唱えるようにプレの女王は命令をしました。
そこに地獄の邪鬼が集まってきて全て死に絶え、地獄は無人?となったと伝えてきました。
プレの女王は人間があまりに悪いことをするので、いわゆる地獄を創ったそうですが、700歳の寿命が来て、自分がそこへ追いやられることになったので、邪鬼を消滅させたそうです。
当時はなぜこのようなところと意味が分かりませんでしたが、その後その山が木星の王がとても気に言っていたとことわかり、航空写真で見ると葉のように見えます。
今は高速道路になっていますが、若いころ、巨大な岩が川のそばにあり、その横を抜けると星原の風景が見える夢を見て今でもはっきりと覚えています。
実際そこには巨大な岩があり、戦後爆破されて道路ができたそうですが、さらに最近では、高速道路が通り岩は全くなくなりました。
思わぬことにチャネリングでは、山彦が母親のイトがヤマトに連れて行かれる時に、その岩の上から手を振って別れと悲しんだと伝えてきました。
右側が星原の谷で、左側は有岡の奥路の谷で綾部寄りです。
有岡の谷は大きくて田もたくさんあるのですが、ほとんど家はありません。
その田に星原の人たち(四方、今井姓の人たち)が田を造りに行きます。
なぜ有岡の谷に家を構えなかったかというと、白木家を見張るために、小さな谷に家が密集して創られたことで、意味が分かりました。
特に白木家の周りには、今でこそ少なくなりましたが、四方、今井姓が密集して建っていたようで、最近でも、近所の人のNPOなどへの嫌がらせはたの村へまで届くくらいはっきりとしています。
もっとも星原の有力者(柏原,四方)は星原の谷の中央の良い田をほとんど取り上げて(プレの女王の言葉によると)、白木家の田はバラバラで、畑は見事に端とわかる三角ばかりでした。
私の実家は「星原町」の文字の右上の小さな谷で、そこにかっては7軒の家が建ち、入り口にも2件建っていました。
隣の有岡は手前に家が建っているだけで、それ以上奥には民家はありません。
星原の人たちは星原の突き当りの険しい峠を越えて田の仕事をしにいっていたようで、子供のころ一度だけついていきましたが、とても遠かったです。
明治政府になってから?ヤマトからきたと伝えられた家は、南は高い山で氷代(ヒシロ)と呼ばれたとても寒い所に家を建てていますが、実家は南向きでした。
それだけでも後から入ってきたということがわかります。
白木家は何度も断絶させられ?無人になっていたと、大本教の敷地にお金が埋めてあったことでも、伝えてきました。
すなわち白木家にお金を持ってきたけど、家が途絶えて、大本教の敷地に埋めておいたのを、支配された出口直?がチャネリングで、お金を探し出し、その土地を無理やり、私有地としたということも思わぬことで伝えてきました。
それは土地を大本教に取り上げられたと訴えてきた人のことを聞いていた時に知らされました。

今回高速道路のわきのロードパークに寄って、この山を切り刻んでほしいと言葉になり、この画像を見ることができました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2013112420...


2013年11月25日(月)

正倉院展より、契約の箱?

 

第65回正倉院展の本より
もう一つ櫃は出ていましたが、こちらがいわゆる契約の箱と言葉になっています。


2013年11月25日(月)

正倉院展より、ストーンサークルをあらわした?

 

第65回正倉院展の本より
イシカミたちの仕事のストーンサークルをあらわした?と言葉になりました。
本当かなと思いながら書いていると、右足中指にサインがあります。本当?


2013年11月25日(月)

正倉院展より、巨人の服?

 

第65回正倉院展の本より
大きさが書かれていないので、わかりにくいですが、どう見ても巨人の服にしか見えませんでした。
巨大な手や胴体でありながら、首回りがとても小さく、普通の人間が着る服ではないと思われました。
思わぬことに、イシジンが着るとムササビのように飛べる服で、イランから鳥イシジンとして飛んできたという言葉が出てきました。