ソラ画像

2013年10月4日(金)

イラン カナートの井戸の天井

 

最初に紹介した詩人の廟のそばのカナートの天井です。
この模様の筋に矢印とそうでないのがありますが、先日ビジョンで見たのが「黒い点の集まり、矢印が並んでいる」というのが似ていて気になっています。
地球の内部のイシカミの行き来をあらわしているようで、矢印のない部分は行き来がない=地震が起きない地方をあらわしているようです。


2013年10月2日(水)

イラニ高原

 

半砂漠のようなイラニ高原は次々と色々な形の岩山があらわれ、イシカミが待っていたという思いが感じられ目が離せませんでした。
尖った三角山は戦闘的でしょうし、この岩山は大きな目で見ているようでした。
ようやくソラにあがれるという言葉も出てきたようでした。


2013年10月2日(水)

イラニ高原

 

岩山に水田とイラン独特の風景です。
イランは砂漠の国でもありますが、驚いたことに水田でお米が作られ、毎食のようにたくさんのご飯が出てきます。
お米はとても細長くぱらぱらでバターを入れて食べますが、ごちそうしてくださった友人宅でも出てきたので炊き方を聞きました。
2時間水に漬け、薄く切ったジャガイモやパンを焦げ付かないように鍋の底に敷き、弱火で1時間煮るそうです。
そのジャガイモも希望していただきましたが、少し焦げ目がついておいかったです。
イラン料理はとても時間をかけて創られるようで、控えめな味付けでもこくがあっておいしく、胃腸にとても優しいお料理が主で、生野菜も欠かさず出てきてヘルシーです。
もっとも主食?はナンでインドが本番と思っていましたが、どうもイランのようです。
イランの窯焼きナンはとてもおいしく、同じようなメキシコのトウモロコシの平焼きパン「トルティーヤ」は申し訳ないけど一枚も食べれなかったのと対照的でした。


2013年10月2日(水)

ナグジェ・ロスタム

 

↓の建物です。
半分地下に埋まっていて、階段がさらに下にむかっているのは、地上のイシカミだけでなく、地下のイシカミにも目を向けてほしいと言葉になりました。
そしてこの中で、ミナノコの小さなイシジンが創られたようで、階段も小さいです。
ちなみに大きなミナノモノのイシジンは、向かいの墳墓と呼ばれる部屋の中で創られたようです。


2013年10月2日(水)

ナグ・ジェ・ロス・タム【2015年4月17日追記】

 

【2015年4月17日追記】
ナグ・ジェ・ロス・タムとは少年のイシカミ?が、イシカミのことを伝えるためにいろいろ苦労をしたのに、そのことに気づかないで無駄な年月を過ごすことを「泣くぜ、大切な時間をなくすることを」として名前をつけたそうです。その少年がセルセ王になったことをヘンデルは、違う形で知らせたようです。

4月17日真夜中左背中と右足中指に同時にサインあり。
「ミナノコたちが知らせました。
今の仕事は良いことになります。
昨日はミナノモノが降りていたのでしんどかったのです。
ナグ・ジェ・ロス・タムのイシジンです。
(両足の先端にサインあり)
ペルシャのイシジンがギリシャの自分勝手なイシカミに、思いとどまらせようと出かけたのです。
ギリシャのイシカミは、イタリアと同じように足の半島になる計画でした。
それが嫌だとバラバラになったからです」
前夜にナグ・ジェ・ロス・タムの王の子供(ク)セル(ク)セス1世が「テルモピュライの戦い」の王だっと話をしていました。

朝起きたらクレタ島で地震が起きていました。
16-APR-2015 18:07M6.0 深さ 20 CRETE

ついでですが、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」(Ombra mai fù)はペルシャ王セルセ=(ク)セル(ク)セス1世)によって歌われる。詩は木陰への愛を歌ったもので、優しい王と言う感じがします。
ヘンデルはペルシャ王が悪者でないイシジンと知っていた?
後年の権力者がセルセ王の偉業を隠すために、(苦労のク)の文字を2か所も付け加えた名前で語り継がれてきた?

手前の半地下の建物は図書館と言葉になりましたが、
「ギリシャへ行ったことは、イシカミの思いを伝えるためだったということの記録を残すために、この建物を造っておいたのです」

イランの遺跡には砂漠の中などに突然このような建物が見受けられるようですが、それは石段を上がって建物の中に入っていくようになっています。
これはその反対で、地下に向かって石段があります。
この中に皮?木の皮?に文字を書いた遺物がたくさんあったそうです。