ソラ画像

2025年4月22日(火)

今治(イマバリ)市 野々瀬1号古墳=七間塚古墳と山火事跡

 

先回、愛媛県の古墳巡りをした時、同行者がきついサインが足にあり、何を知らせているか調べたら、一つの古墳に2から5個の石室があるという珍しいので、計画を立ててもらいました。
その頃、ちょうど今治市では山火事があり、広がっていましたが、その風向きが今治市に向かっているというので調べてここにたどり着いたそうで訪れることにしました。
右側の茶色の山でまさにそこまで山火事が来ていたことがわかりましたが、イシカミの形を隠している木々を焼くことで稜線がはっきりとして、山=イシカミの姿をしっかり現すことができていました。
イランなど中東には山の線がとてもはっきりと見え、雪山もはっきり見えますが、木で覆われている日本の山は、本当にその姿がわかりません。
山火事が多いのも、地球を生物の住める星にして、人間のために色々な働きをしているイシカミ=山が思いを持っているということを認めない人間に何としても気づいてほしいと、火星と協力していると思っていました。
そのことをまざまざと知らせていると思えました。


2025年4月22日(火)

ツチジンから人間へ1

 

読者よりイシカミの分身のツチジンから人間に変わったことをわかりやすく描いてくださいました。


2025年4月22日(火)

ツチジンから人間へ2

 


2025年4月22日(火)

ツチジンから人間へ3

 


2025年4月22日(火)

ツチジンから人間へ4

 

日本ではこのようにイシカミからツチジンとナリ縄文文明を築き上げたが、ツチジンは土になって残らないために、そのことを伝えようと、石の文明を創るように、石馬でヨーロッパの方面に伝えたということです。
それでヨーロッパでは石の文明=アトランティス文明が最高の文明として発達したということですが、それを成し遂げたのが、イシジン=石人=生きているような石像や、人間では到底できない石の建築物が残されたのです。
ツチジンは主に農耕で食べ物を自分たちで作る文明であったのに対して、イシジンの子孫は狩猟民族で食べ物に限りがあるので、他のモノを奪っていく文明となり、植民地政策がなされたと言えます。
それがこれまで繁栄してきた欧米でもあります。