ソラ画像

2022年3月7日(月)

水のアト達と太陽と具現化のビジョン

 

明け方に目が覚めて見えたビジョン
”黒い微粒子が上の方にあり、下の方に始めている透明な水のような粒子が浮遊している。
次に薄赤の丸い顔のようなのが笑っている?
赤い曲線が何本か横向きに並んでいて、それが赤い格子柄になる。
その赤い格子柄がくねくねと動く”
意味は
「水色の粒子は良い仕事をした水星の原子=アトたちで、(地球上で良い仕事をして)太陽に戻って行ったことをあらわしました。
赤い曲線は、いて座のミナノコが最初は連なって、次に格子柄となって、太陽からのエネルギーで動くことのできるモノに具現化したことを知らせました”


2022年3月4日(金)

三田市 上野ケ原古墳

 

読者より
開発される前の画像で連結式石室があったようです。


2022年3月4日(金)

三田市 陶棺 2

 

ふるさと学習館にあるそうです。
脚の小さな穴が気になります。


2022年3月4日(金)

三田市 陶棺 1

 

三田市のふるさと学習館のにこのような遺物があると読者から送られてきて驚きました。
博地谷古墳からで蓋の長さ1.58m、幅50cm、


2022年3月3日(木)

三田市 交差点の石

 

東仲古墳の近くの交差点にある石です。
これにちょっと似ているのが、足のある石棺のようでもありますが、テーブルやイスに動物のような足がついているのが、西洋では度々見ます。
*)受胎告知のテーブルの脚。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E8%83%8E%E5%91%8A%E...
*)脚のある石棺
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20211115144...

読者からメールで次のようなことを知らせてくれました。
・・・旧青野ダム記念館にあった石棺の件で、石棺は博地谷(ばくちだに)古墳から出たそうで,
今、石棺は三田ふるさと学習館にあるそうです。

「博地谷古墳」
http://o-mino.la.coocan.jp/page638.html
「須恵器展示室」
http://www.sandasc.org/aonodamusueki.html
丹波霧の里「大谷山~千丈寺山~青野城/千丈寺湖~小山城」
http://tanbakiri.web.fc2.com/SANDA-senjyoujiyama-docu.htm
さんの最後の方に。
・・・・道路傍(北側)のある同規模の2号墳は主体部が不明で石材等はなく竪穴式石室のようですが、 改変著しく…近世墓として二次使用されていた様で、頭髪とともに布に包まれた寛永通宝5枚が発見されてる様ですが・・・・

この言葉で知らされているように、亡くなった人を治めるのに、石棺はとてもぴったりしています。
ソラから知らされている石室や石棺は、イシジンやツチジンを具現化させたということで、
そこから出て行って空いたところに、後年お墓として利用されたと考える方が当たっていると思います。
肉体は亡くなると、一気に腐敗が進み、その形は見る間に無残な姿になります。
それなのに、そのお墓のために、何年もかかる石細工をして、さらに土を盛って大きな古墳にするでしょうか?
いくら立派な人物であっても、生きている人はその後の生活でいっぱいだったでしょう。
骨だけになった人のために、そのようなお墓を創るでしょうか?
古墳=お墓と考えて今の考古学は成り立っていますが、それらのことを考えると矛盾が生じないでしょうか?
東仲古墳を見た後に知らせてきたことがつながると思いました。
*)”浮く、ランナー=ウク・ライナ”のお話のビジョン
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20220226093...
ウクライナとロシアの戦争が始まっていますが、如何に戦争がむなしいことか知らせていると思います。

*)ミイラと石棺
https://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20181221035300
*)アラファトの死
https://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20050307150429