ソラ画像

2021年3月16日(火)

三角山山頂2

 

行った時には思い出さなかったのですが、丁度向こうの道路の手前(白い車の当たり)に、実家の田がありました。
その他の手前に星原川(小呂川)があり、向こうの田とその後ろの小山は一つの塊のイシカミだったが、分断されたことを↓の二つの白い石垣のビジョンで知らせてきました。
雲も何やら示しているようです。
後ろの山は君山(城山)で、初期の頃はイシキとして何度か降りてきていました。


2021年3月16日(火)

三角山頂上

 

山頂に石があると言葉になっていましたが、何もなかったのは、昔に取り去られたようでした。
ここに海へビ座が降りていると言葉になり、驚きましたが、これまでの知らせてくれたこととつながりました。
山頂は長方形に、土が露出していて、猪の泥あび場?として、完全に支配されていたと思いました。
又以前は木が覆っていて、形はわからなかったけど、木が切られて見事な三角とわかり、一部掘り返してあったのは、円墳として探索されたと思われます。
倭の国は平和で平等であったので、小さな古墳ばかりで、後年の巨大な古墳と違って遺物はないのと、イシカミは権力者にとって邪魔なので、これまで完全に無視されてきたと思われます。


2021年3月16日(火)

アラマの畑の跡2

 

子供の頃のかすかな記憶の梅の木が、誰も見てくれないのに、一生懸命咲いているようで哀れでした。
この隣の三角山は、物部の祖の分身ということで、来てほしいと言葉になりでかけましたが、実家の裏山と同じく、背の高いササで覆われて簡単には登れませんでした。


2021年3月16日(火)

アラマの畑の跡1

 

アラマの三角山の隣は、子供の頃は麦を作っていて、麦踏や草削りに通っていましたが、今は亡き兄が植林し、植えた後の手入れをして立派に育っていましたが、亡き後、大木も倒れて荒れ放題になっていました。
それも大きな白いオーブで見守っているようです。
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2021年3月15日(月)

二つの石壁?のビジョン

 

3月14日明け方
”白い石の壁?崖?に、動物の模様で石が配石されているのが、続いて現れる”
意味はなかなかわからなかったのですが、
「ドーバー海峡のイギリスとフランス側の岸壁をあらわしました。
元は一つの塊だったのが、陥没して海峡があらわれたこと知らせました。
そのようなことは、大小であちこちで起こっていたということです」