ソラ画像

2020年3月13日(金)

馬子(バコ)と入鹿

 

《ビジョン》はこれほどはっきりとはしていませんが、このことを伝えたかったようです。
“着物?を着た母親らしき女性が、同じく着物を着た男の子の兄弟に、赤いイチゴを与えていて、兄弟はパクパクと食べている。
その後、金の延べ棒のような横向きの長方形で紙?で包んだ金色のモノが4,5個あらわれ消えて、その後金色の網目が見える“
意味は
「イチゴはイシカミのことを伝えている食物、
女性は物部の妻で、その子供が馬子と入鹿で、入鹿がその後お金に目がくらんで聖徳太子側に裏切ったことを知らせました」


2020年3月12日(木)

太陽への帰還?

 

朝起き掛けに見た
《ビジョン1》
”細い白線の渦巻きの一部だけ(7時から10時)見え、その後スポットライトのような
電灯?が見える”
《ビジョン2》
”青い草原で3人?の子供が遊んでいて、タンポポの綿毛をフーと吹いて遊んでいる”
(これほど顔ははっきりしていません。笑)
意味はすぐには分からなかったのですが、うたた寝した時
「丸いモノです。
星のモノが好きなモノです。
タンポポ(の綿毛)を飛ばしています。
太陽から来ました。
沢山の仕事をしたので、しばらく休みたいと思います。
それで太陽に帰ります。
また、お仕事にやってきます」
丸いモノですと言葉になった時、コロナウイルスが浮かび、お仕事とはバチカンやメッカや教会や宗教の参拝場所などが、コロナウイルスのために閑散としているのがイメージされましたが、現実には全くどうかわかりません。


2020年3月12日(木)

【月26日訂正】太陽と第10惑星の光

 

3月7日に裏山の続きの尾根を通って、物部の祖がいたという高羽山(高波山)に登った同行者が、中央部にわずかに見えている山桜を撮ったら映っていた光だそうです。
3月11日明け方
「丘の上にいたモノで、物部の祖と呼ばれるものです。
丘の上に(建物の遺物が)何も残っていなく、(住んでいたということが)証明できなくて
残念でした。
そして比叡山から来た(仏教)モノに支配されていることを、光で知らせました。
そして太陽が山桜を咲かせて待っていました」
白い光は太陽から、それを支配するカラフルな光は、第10惑星のようです。


2020年3月9日(月)

隠され封印されたもの

 

不動尊の先のハイキングコースと書かれた道中の画像です。
驚いたのが山を越えた所なのに、星原の住人の名前の地蔵があったことです。
星原の村長だった柏原や、寺の下の今井姓で、そのことで裏山から続いている山が星原の住民のモノだったことを知らせているようです。
柏原家の家は、北向きの寒い地所で、今は庭に山崩れがひどいです。
今井家は実家の横井戸の跡を石垣で封印して、空き家になれば寺のモノと言い切り、横穴址と書いた立札を抜き取った?

少し登った所の新しいお墓で、四方家、沢山のオーブで抗議していました。
そのお墓の手前には、このような石室だった跡?や石がゴロゴロ周りにありました。

お墓の横の三角の石碑、その横にやはり長方形?の石組があり、やや戦闘的だった物部の守屋の部下だったイシジン?


2020年3月7日(日)

【3月8日追記】高羽山山頂へ(高波山=コウバ山)2 山城跡

 

↓の地図の⓹の位置で、登りは不動尊に引っ張られ、それは大変な急峻ながけ登りでしたが、下りはロープが張ってあり、降り道はよくわかりましたが、巨木が時々道をふさいでいました。
本当は高羽山(コ・ウ・バ=子供が平等に歌う山)なのに、高波山と名前を変えられたと言葉になりました。
物部の祖も鳥イシジンということで、高い羽根のモノの山という意味の方があっています。
標高295mの一番高い山で、山頂は広くで、ここが物部の祖の屋敷?があったが、全て土に戻ったと伝えてきたところのようです。
丸太の椅子があり、頂上からは綾部市、志賀郷などが見えます。
巨木が根こそぎ倒れて、木星の支配に抗議しているようでした。
【3月8日追記】
読者よりメールが来て知らせてくださいました。
やはり山城だったようですが、本当に石がなく、落ち葉が積もった腐葉土の広場でした。

「2013年と古いですが、中ほどに昨日行った付近の地図が載ってました。
http://www.ritsumei.ac.jp/slc/db/event/201311ayabeyoko.pdf

白道路で検索をすると出てきました。
https://tangonotimei.com/ikrg/hakudoji.html

神波(高浪)山城(白道路町神波)
 丹波志・古跡陵墓ノ部に次のようにある。
高波山ト云古跡(白道路村内・中村)
 古城 北エ下所ニ水ノ手ト云所有 一ノ丸 二ノ丸ト云二段有 八丁斗 住人不知
白道路集落の南にそびえる、標高二九五メートルの山頂に、方三〇メートルの本丸と二の丸があり、その南壁に三本の竪堀が見られる。この城主は藤懸氏の客分で、後に家老になったという。郷士大石氏の本城とも伝えられている。
 大石氏子孫 白道路村
  遠坂ニ郷士大石弥右衛門特高有之 地頭藤懸(掛)殿客分
  家老ニ引越 古跡殿屋敷ト云フ(丹波志)
(『物部史誌』)