2020年3月9日(月)
隠され封印されたもの
不動尊の先のハイキングコースと書かれた道中の画像です。
驚いたのが山を越えた所なのに、星原の住人の名前の地蔵があったことです。
星原の村長だった柏原や、寺の下の今井姓で、そのことで裏山から続いている山が星原の住民のモノだったことを知らせているようです。
柏原家の家は、北向きの寒い地所で、今は庭に山崩れがひどいです。
今井家は実家の横井戸の跡を石垣で封印して、空き家になれば寺のモノと言い切り、横穴址と書いた立札を抜き取った?
少し登った所の新しいお墓で、四方家、沢山のオーブで抗議していました。
そのお墓の手前には、このような石室だった跡?や石がゴロゴロ周りにありました。
お墓の横の三角の石碑、その横にやはり長方形?の石組があり、やや戦闘的だった物部の守屋の部下だったイシジン?
2020年3月7日(日)
【3月8日追記】高羽山山頂へ(高波山=コウバ山)2 山城跡
↓の地図の⓹の位置で、登りは不動尊に引っ張られ、それは大変な急峻ながけ登りでしたが、下りはロープが張ってあり、降り道はよくわかりましたが、巨木が時々道をふさいでいました。
本当は高羽山(コ・ウ・バ=子供が平等に歌う山)なのに、高波山と名前を変えられたと言葉になりました。
物部の祖も鳥イシジンということで、高い羽根のモノの山という意味の方があっています。
標高295mの一番高い山で、山頂は広くで、ここが物部の祖の屋敷?があったが、全て土に戻ったと伝えてきたところのようです。
丸太の椅子があり、頂上からは綾部市、志賀郷などが見えます。
巨木が根こそぎ倒れて、木星の支配に抗議しているようでした。
【3月8日追記】
読者よりメールが来て知らせてくださいました。
やはり山城だったようですが、本当に石がなく、落ち葉が積もった腐葉土の広場でした。
「2013年と古いですが、中ほどに昨日行った付近の地図が載ってました。
http://www.ritsumei.ac.jp/slc/db/event/201311ayabeyoko.pdf
白道路で検索をすると出てきました。
https://tangonotimei.com/ikrg/hakudoji.html
神波(高浪)山城(白道路町神波)
丹波志・古跡陵墓ノ部に次のようにある。
高波山ト云古跡(白道路村内・中村)
古城 北エ下所ニ水ノ手ト云所有 一ノ丸 二ノ丸ト云二段有 八丁斗 住人不知
白道路集落の南にそびえる、標高二九五メートルの山頂に、方三〇メートルの本丸と二の丸があり、その南壁に三本の竪堀が見られる。この城主は藤懸氏の客分で、後に家老になったという。郷士大石氏の本城とも伝えられている。
大石氏子孫 白道路村
遠坂ニ郷士大石弥右衛門特高有之 地頭藤懸(掛)殿客分
家老ニ引越 古跡殿屋敷ト云フ(丹波志)
(『物部史誌』)
2020年3月7日(土)
高羽山山頂へ(高波山=コウバ山)
穏やかな晴天に恵まれ、先日の続き尾根の道を少しでも行きたいと出かけました。
ソラの家へ行く時に、不動尊ハイキングコースと書かれていたのでその道を行きましたが、
とんでもない急な斜面を登ることになり、何とか尾根道にたどり着き、尾根では一番高い山頂へたどり着きました。
帰りは巨木が倒れていたりしましたが、山道があり、登りに比べてとても楽に降りれました。
不動尊の近くの?の小さな6地蔵に、星原の住人の名前が掘ってあり驚きました。
登りの急斜面の画像には、青紫のオーブで仏教のヘビ使い座のエネルギー体が写り、蔓、それも根の生えた蔓は、ヘビ使い座と髪の毛座が合体したようで、とても邪魔をされているようでした。
けれども尾根道になると、↓のような歓迎をしてくれたようでした。
2020年3月7日(土)
山桜とダンコウバイ
物部の祖のビジョン
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200224213...
桜の木のビジョン
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200224133...
を見せてくれたのは、裏山の続きで白道路や物部に続くことを証明するために行ってほしいと
言葉になっていましたが、全てが土に戻ってその痕跡がないので、せめて花を咲かせて待っていますと言葉になっていました。
けれども桜の季節にはまだまだ先なので、到底無理だと思っていましたが、本当に1本の山桜が咲いて待ってくれていました。
そしてほのかな香りがすると思っていたら、見たこともない蝋梅に似た花も近くで咲いてくれていました。
*)ダンコウバイ
2020年3月5日(木)
物部=モノ・ノベ=あらゆるモノがイシカミの原子から出ていることを伝える、
小さくてわかりにくいですが、緑が実家の畑があった所で、見事に端ばかりにされているのは、実家が途絶えた時に、真ん中の畑がなくなったようです。
0)が実家
1)が先回登った尾根でも広い処で、夢で見た家は物部の祖の家で、ビジョンのイシジン?
2)今回登った尾根の頂上で、三叉路になっているところ。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20200305154...
三柱神社は早くから知らされている、山彦の館があったと伝えられ、初めてネット管理者がこの横を通った時、ここラあたりは一面の田で立派な館と鳥居がある夢を見たと言われ、車を止めてみたら、隠れたところに本当に鳥居があり驚いた場所。
3差路がある所が、ヤタでヤタガラスのことを知らせていると伝えられた所。
白道路は白い木のホシノベの子孫の山彦が、ヤマトのモノに殺された処で、白をソウジしたと伝えられた。
尾根を通れば物部(村の守屋)の”館”という地名があります。
その近くには1000を超える小さな遺跡群があると、以前知らされました。
3)実家の谷を上がった所に畑があり、父から雑草を削ってくるようにと言われて、一人で畑作業をして、その後父から珍しく褒められたことをしっかりと覚えていますが、父はこのあたりの山は
持山だったことを知らせたかったのだと思いました。
4)子供の頃山ノ神が祭ってるというので、男の子がその祭事をしに行っていましたが、物部の祖から意識を向けさせるためと。
ずいぶん前に、そこを目指して行きましたが、下草や木が生い茂っていて、1mも進めなく、
裏山の道との大きな違いに驚かされます。
又その時に、無数の大きなゲジゲジがいたのを、同行者とはっきり覚えていますが、その後再びチャレンジした時には何もいませんでした。
この尾根の麓に栄宝寺がありますが、大きな首なし地蔵があるのは、この地にヒミコの娘のイトと住みついたムウラのことを知らせているようです。
https://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html
私としては、次々と知らされてくるソラからの情報を、その都度できるだけそのままお伝えしてきました。
たまたま見たTVで、男性が男の子を肩に乗せ、その男の子が七支刀を掲げている場面がとても気になりました。
その後それが物部の守屋とホシノベの子供ということで、綾部の私市丸山古墳と関係していたことを知らされ、なぜその場面が気になっていたか謎が解けました。
そして子供の頃から、
なぜ実家の周りは狭い谷なのに、家や家の跡を合わせて9軒もあり、周りの家の人は峠を越えて隣の有岡の谷の田を作られているのか?不思議でしたが、その謎も解けたと思います。
すなわち物部の祖が裏山の上の方にいて、その登り口にあたる谷にその関係者の家があったが、物部関係が追放されその後、ヤマト関係者が移り住んだと伝えらえています。
物部=モノ・ノベ=”モノがどうしてできるか=イシカミの原子が変化する”ということを語り伝えてきていた。
その物部を大陸から来た仏教を利用した聖徳太子達が滅ぼして、完全に全ての物質の元であるイシカミを封印して、今も宗教の支配が続いていることで、あらゆる天地異変で警告しているようです。