ソラ画像

2019年11月24日(日)

【追記】福岡 宇美八幡宮の韓石(からいし)

 

【2019年11月24日追記】
2003年頃はまだあまり巨石を見ていなかったせいか、とても巨大に思っていたのですが、
日本を初め世界中の巨石を見てきたせいか、今回訪れてあまりに小さいので同行者共々驚きました。
そして今回は2003年にも見たのに、木星の悪を知らなくて、その巨大さに何も触れていないのに、そのことでも驚きました。笑
・・・・
とても巨大で整った長方形の岩で驚いたのですが、訪れた時には何も言葉になりませんでした。
神功皇后と言うと、この石と五色塚が浮かび、なぜイシカミ系なのに、ヤマトと関係があるのかなと以前から思っていました。
五色塚
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20050125141...

昨夜、ようやく「騙されてヤマトへ嫁にやられた」と言葉になり、「ヤマトはカラから来た人たちが国を創ったので、(朝鮮が唐の入口?唐の部下だった?ので)朝鮮へ攻めていったが、違う意味で伝えられている」
ということで何としても知らせてほしいと、左足首のサインで知らせてきました。
言われてみると、かっての1000円札の聖徳太子など、明らかに中国の服装です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E...
高松塚やキトラ古墳の岩絵は、中国人そのものの服装です。

それまで豪族の物部氏などで平等だったのに、談合山での会談での「大化の改新」で、階級制に変えて搾取し貧富の差がひどくなっていきました。
大化の改新
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E...
・・・この改革によって豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされている。大化の改新には、遣唐使の持ってきた情報をもとに唐の官僚制と儒教を積極的に受容した部分が見られる。・・・

神功皇后が朝鮮から持って帰った石とのいわれがあるそうです。


2019年11月24日(日)

西宮市 廣田神社 神功皇后

 

昨夜、神功皇后が降りてきた?かでいろいろな言葉が出てきましたが、この神社が関係していました。
創祀の謂れでは、神功皇后が関係していました。
カラというのは中国と思っていましたが、朝鮮もカラと呼ぶようです。
「(夢で)責めてきた人たちが、カラからきた人たちです。
それで唐の入口の朝鮮をせめて行ったのです。
それを違うように伝えられているのです。
神功皇后がなぜ朝鮮を攻めていったか?
それはヤマトを支配する者が、カラから来たモノだったからです。
それなのに(神功皇后が)いつの間にかヤマトの仲間にされていることがわかりました。
それで(左足首の)サインで知らせたのです」
(廣田神社から帰ってきた後、左足首のサインが続いていたのは何故かと思っていましたが、書くことで治りました)

「騙されてヤマトへ嫁にやらされたモノです」とも言葉に出ていました。
神功皇后?


2019年11月24日(日)

多門寺(神戸北区有野町唐櫃)6

 

同行者より
かっては上から水が流れ落ちていたでしょう。
石組は石室の中のようです。


2019年11月24日(日)

多門寺(神戸北区有野町唐櫃)5

 

同行者より
ムカデの紋章は、トラが支えている香炉(4枚目)の写真が本堂の中心に位置していて、
少し離れたその両脇にあった大きな壺?か鉢?のような物に付いていました。

子供のムカデ=ミナノコの集合体の毘沙門天=ビシャ・モン・テン=ビシャ・門・転
2匹=ニビル


2019年11月23日(土)

神戸市 廣田神社5

 

「紹介してください」ということで。
並んだ岩で一番大きいのが顔に見えます。