2019年9月18日(水)
宝きょう山の麓の庭園2
前回も気になりながら、なぜか傍に行くことなく画像として残せなかったのですが、遠くに
石積の塔があります。
手前は弘法大師
看板には”石仏を安置している石積は、夜に積まれたもので「夜積み石」と伝えられています”
弘法大師は夜の間に仕事をするのは、イシジンだったので、太陽にあたると硬直するからのようで、近くの三方の石観音の伝説も同じです。
2019年9月18日(水)
宝きょう山の麓の庭園
瓜割の滝は、宝きょう山の中にありますが、参道の横には石垣や大きくて豊富な水を利用した立派な庭園があり、かっては山城だったのが天徳寺になった?
階段の左側に、座禅した石仏と、小さな石像がいくつかありました。
2019年9月18日(水)
福井県上中 瓜割の滝 への参道から
これは今年の8月8日に訪れた瓜割の滝へ行く参道からの画像ですが、改めて見て血のようでした。
鉄分が含まれているからでしょうが、今回知らせてきたこととつながっていると思いました。
”瓜を割”とはどういう意味かなと思っていると、ムウラが降りてきて思わぬ言葉が出てきました。
大江山で製鉄で鍬などを創っていたが、ヤマトから攻められて、全員殺されたことは、地名なので初期の頃に知らせてきていました。
その後元伊勢で祭られていることは伝えてきていましたが、イシジンだったムウラの遺体は、ばらばらにされて、ヤマトへ運ぶことになったそうですが、この地に来た時には、”瓜をも割れるくらい”に硬く石に変わったということを、知らせたそうです。
殺された=人間なら血が流れたことを知らせるため、鉄の赤で知らせたようです。
白い変わったユリは「オオ・ウバ・ユリ」であまり近畿地方では見かけません。
名前の通り、とても古い物語を知らせているようです。
2019年9月18日(水)
福井県上中 瓜割の滝
小さな滝で、湧水のようです。
8月に行った時は右側の樋の水が特に冷たく感じましたが、今回は同じに感じました。
中国からの観光客でにぎわっていました。
2019年9月18日(水)
福井県上中 瓜割の滝1
先回訪れた時は気が付かなかったのですが、この岩は連山のようです。
琵琶湖の西側は比叡山、比良山が連なっていて、巨大なリュージンということですが、その連山にちょっと似ている?
大江山で殺されたムウラの部下たちは、3000人でそれらを、鯖街道を通って、比叡山の麓の大原三千院に閉じ込めたと、言葉になりました。
以前から”大原3000人”と言葉になり、紅葉(=血の色)が有名なのは、3000人が葬られていると伝えられていましたが、ムウラ関係とは思ってもいませんでした。
http://www.sanzenin.or.jp/