2018年9月9日(日)
大阪住吉大社 手水鉢
初めて見るウサギの吐水口で、ここは神功皇后と関係がありました。
神功皇后は卯と何かと縁があり、ウサギと言えばやはり、月と関係がありました。
2018年9月9日(日)
大阪住吉大社 反橋
とても大きく反った橋で、この下の堀のリュージンを切り刻んでということでした。
2018年9月9日(日)
大阪住吉大社
住吉とは、”四隅のミナノコたちが良い仕事をした”
という意味と、早くから知らされていましたが、一番の元?の住吉大社には行っていませんでした。
https://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080723171218
大きな石灯篭が600からあるということは、見たことのない風景で、沢山のイシジンと関係していたということのようでした。
ただ、ここも台風のための倒木がとても多く、プレアと木星に支配されていたようでしたが、
”御田”の稲は全く倒れていなく、人間のために働いてくれる木星のミナノコ知らせているようでした。
石舞台や五大力などは閉門してあり、入ることはできませんでした
2018年9月9日(日)
捕鳥部 万(ととりべ の よろず)の墓 2
こんもりとした小山の上で、天神山町、大山大塚古墳になるようです。
改めて見ると右側の白い長方形の岩が気になり、傍で見てくればよかったと思いました。
1400年続いているそうです。
https://kishibura.jp/blog/umeda/2010/11/1300.html
忠犬シロのお墓は、少し離れた小山にあるそうですが、草が生い茂っていて行けれませんでした。
傍に?池があり、リュージンに支配された?ウシガエルがなき、クロアゲハ、かぶれの木、沢山の蚊で抗議していました。
2018年9月9日(日)
岸和田市 捕鳥部 万(ととりべ の よろず)の墓
物部守屋を検索していて出てきたのですが、捕鳥部 万(ととりべ の よろず)とは初めて聞いた名前で、物部の守屋の部下だったそうです。
この日は雨の予報で、覚悟をして行ったのですが、あちこち回ってもほとんど傘はいらない位で
アトたちに感謝していました。
(大山大塚古墳・天神山町)
台風21号の後だったので、周りは倒木でいっぱいでしたが、イソヒヨドリが鳴いて迎えてくれました。
私は当日は、トトリベと発音できなく”チョチョリベ”としか言えませんでした。
三田までついてくるというのは、イソヒヨドリの鳥イシジンだったようで、三田には「仲間がいるからと」
実際このマンションにはイソヒヨドリがよく鳴き、幼鳥も駐車場で度々見ました。