ソラ画像

2017年7月27日(木)

福井県小浜市神宮寺 小さな入母屋

 

本殿の横にあり、井戸と向かい合っています。
ここを見てほしいと言葉になりましたが、小さな入母屋で、全てが小さくて、ミナノコ関係のとても小柄な人が住んでいたようです。


2017年7月26日(水)

福井県小浜市神宮寺 閼伽井戸(あかいど)

 

奈良二月堂のお水取り行法の水は若狭井(東大寺)の水が 使われており、この水は神宮寺の閼伽井戸(あかいど)の水を3月2日に遠敷川(おにゅうかわ)の鵜之瀬へ流すこと(水送り)で 3月12日に到達するといわれている。(神宮寺 leaflet より)・・・

福井県の水がなぜ、奈良に到達するか?
今の地形では、到底想像できませんが、ソラから知らされている情報では、つながるのです。
すなわち、京都府、福井県、兵庫県に渡る広範囲な場所こそ”倭の国”で、日本海は平原で、
由良川なども瀬戸内海に流れていた。
ヤマトが倭の国を攻め滅ぼしたために、それ以上ヤマトに侵略させまいと、遅れてイシカミたちが一斉に降りてきたために盆地の山国になり、日本海も創られ、掘りあげたモノが、海のすぐそばの山になったということです。
ソラからの情報のノアが、ヤマトに追い出されて放浪の旅に出て、寄り道をしたところがこの神宮寺の湧き水を飲んだことで、当時はノアが鉄を教えて尊敬されていたので、この場所を守ってきたけど、支配され違う形で残されているようです。

巨石の前も池でその隣が湧水の池でつながっているようで、手前にごく小さな流れになっていて、四万十川の遺跡(北宇和群鬼北町岩谷遺跡 )と似ていると思いました。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20130815214...


2017年7月26日(水)

福井県三方石観音  鶏鳴石

 

弘法大師が夜中に石に観音像を彫っていたら、ニワトリが鳴いたので、右手を彫らないままで去っていたという言い伝えがあり、ニワトリの石像です。
各地で夜中に仕事をすると言うのは、太陽に照らされると、いわば泥人形のようなイシジンたちは、乾燥することを避けたようです。
それで遺跡の傍には川や池があり、海外の石像はジョーゼットのような薄い着物を着て
乾燥を防いだようです。
この岩の右手には滝がありますが、真っ黒い岩となり、リュージンが支配しているようでしたが、見たことのないくらいごくごく小さなカエルがいました。


2017年7月26日(水)

福井県三方石観音

 

自然石では後年人間が気づかないので、このような形になって人々の指導をしたようです。
このような石碑がぐるりと囲んでいる形は、先日見た千葉県の遺跡と同じです。


2017年7月26日(水)

福井県三方石観音

 

この寺院は巨石がゴロゴロした山道を上がって行くと、山城の跡のような苔むした石垣もありますが、このような石が積み上げられています。
色々な形をしているこれらの石は、イシカミの分身としていろいろな仕事をしていたようですが、人型の形になる前の自然の形のまま固まったようです。