2014年4月16日(水)
大阪城の石垣
熊本城の復元で、柱は小さなスコップのような手斧?で凹凸をつけて削っているのをTVで見ました。
そのようにして瀬戸内海も創ったと言葉になっていましたし、石でもそのようになっているのがこれです。
TVで見た柱の凹部はもっと丸みをおびていた?。
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=519
何けに撮った石垣ですが、よく見ると左側は見事なカーブを描いています。
やはりこれは一つ一つの石を積み重ねたのでなく、大きな石を切り分けたように思えます。
丁度、今日メールで
夕飯を作っていた時のビジョンは
”お豆腐がさいの目に均等に切れる”
というもので石垣のようだなーと思っていましたところ、ソラ画像との一致に驚きました。
と知らせてくれましたが、イシカミもやわらかかったので簡単に切れたのでしょう。
ただ、石を運んでいる絵がたくさんあるのは、後から補修するための時の絵と思われます。
支配星に支配された権力者はイシカミを封印するために、そのようにして
あたかも全て人間が造ったと思わせるためでもあるようです。
2014年4月16日(水)
大阪城の京橋口巨石
追手門の蛸石だけが巨石でないです。
京橋口にもたくさんあります。
これは半円(イシカミをあらわす)でまともに組み立てられていますが、縦向きの半円の巨石もあります。
大阪城は一般に公開され、誰でもそれを見ることができますが、江戸城は皇室の一部の人しか見れないというのは、やはりソラが一番糾弾してきても仕方がないと思います。
先日も皇居の乾通り?でごく短期間だけ一般公開されましたが、異常な人が押し掛けていました。、
地球を創ったイシカミの作品である江戸城を、一部の人たちだけで独占していることは決していいことではありません。
今の流れは、特に反対になっていくことが大切なようで、上のモノが下になり、下のモノが上になるというのは、地下のイシカミがソラにあがる(大きな地震や深海魚がたくさん挙がる)ことでも知らせています。
In Deepさんの紹介の泳ぐ竜宮の使いの画像を見ていました。
http://oka-jp.seesaa.net/article/394399383.html
最初に降りてイシカミの子供がお知らせしますと言葉になっていました。
世界各地で大きな地震を起こすけど、震災級にはしないとも。
2014年4月16日(水)
大阪城の石垣の肥後石 京橋口枡形巨石
どう見てもこの切り石を肥後から運んできたとは思えません。
イシカミの原子たちが一斉に手をつないで大きな石になろうと、号令をかけられたけど、下になるのは嫌だ、小さくても自分たちだけの石になると、反乱を起こしたと説明する方がわかりやすくないですか?
それとも粘土のように柔らかいイシカミを、平らになでつけて巨石にしようとしたけど、下の方のイシカミの原子たちが、隠れてしまうのは嫌だと、自分たちも表に出ると主張したとも言えます。笑
肥後の石と同じ成分なら、地球に降りてくる時、地上に届かないうちに離れて、違った場所(肥後と大阪)に降りてきたイシカミの分身と言えます。
2014年4月16日(水)
大阪城の石垣 張りぼて
京橋口枡形巨石は、このようにとても薄いです。
イタリアの一部の大理石が張りぼてだったのと同じ。
このような薄くて巨大な石をどうして造れたでしょうか?
2014年4月16日(水)
大阪城の石垣刻印