2013年12月12日(木)
安達太良山(アダタラ山)
前日は考古資料館でイシカミの作品の紹介を断られたせいか、激しい暴風ですっかり隠れていましたが、この日は姿を見えました。
濃いグレーの雲がかかろうとしているように、ちょい悪のイシカミでもあったようで、中田横穴古墳のようです。
この前後にはとても変わった雲がずーと出ていました。
2013年12月12日(木)
いわき市考古資料館
ここはホールの複製の壁画の写真すら、館内は一切撮影禁止と厳しく言われました。
丸で全て自分たちのモノという感じで、見たかったら直接見に来るようにと言うことでしょうが、誰でも簡単には遠くまで出かけられません。
私は日本全国、海外も結構多くの博物館を回っていますが、ポスター?、石器、土器まで一切撮影禁止というところは、初めてでした。
画像に残せないとどのような形の遺物だったか忘れてしまいますし、このような遺跡があるということも紹介できません。
イシカミたちが一生懸命、自分たちの子孫である人間に知ってもらおうと形になった遺物も、博物館で閉じ込められていると言えます。
案の定、外へ出ると激しい風で、その夜は電車がその地方は止まっていました。
そして夕焼けも赤黒く、ソラの怒りを感じ、次の日は恐ろしいほどすっぱりとした断層雲が視界いっぱいに長く続いていました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2013121201...
これまで知られなかったものをインターネットで紹介することで、多くの人が気付いてくれるのは、日本のマチュピチュとして紹介した竹田城です。
紹介した2009年5月は休日にもかかわらず、訪れたのは3人だけでした。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200905151605...
それが今では一日3000人でツアーも組まれているそうです。
イシカミたちは、「気の遠くなるほど長い間、来てくれるのを待っていました」
と言葉になりますが、それが博物館に閉じ込められている遺物の言葉でもあるのに、折角行きながら紹介できないことは本当に残念ですし、その怒りが
どのような形であらわれるか気になることでもあります。
ちなみに、ポスター?の撮影さえ許されなかった中田横穴古墳の壁画は、赤い三角が並んでいますが、まさにイシカミのミナノコが手をつないでいることを知らせています。
3・11の大津波は、山から流れて海に行ったイシカミのミナノコの黒い砂が、山に戻ろるようにという、支配星の指示にしたがったという言葉が出てきています。
http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.mahoron.fk...
又、13本?の足のついた長細い容器の土器も、とても珍しいモノですが
紹介できなく残念です。
同じくイシカミのミナノコが手をつないだのが、船になったともいえますし、13本であればイスキリの弟子が13人だったということを知らせたのかもしれません。
2013年12月12日(木)
アクアマリン福島 テング魚
先日のお知らせで丁度、ヤツガダケ,八大リュウオウ、天狗の星と出てきて、シンクロを感じました。
2013年12月12日(木)
アクアマリン福島 イワシの大群
驚くほどのイワシの大群で、ミナノコを思いました。
2013年12月12日(木)
アクアマリン福島
建物の前にずらりと巨石が並んでいて、一瞬、3・1の地震で海から運ばれたのかと思いましたが、巨石の庭を造る予定?
黒い岩は海から山に戻ろうとしたイシカミの原子たちの強い(=硬い)思い思いを感じました。