ソラ画像

2009年5月15日(金)

武田城 跡(兵庫県朝来市)

 

日本のミニ・マチュピチュとも言える位、高い所に立派な石垣が残っていました。
このような石垣が南側にもあります。
小山のイシカミが、敵(ヤマト)が責めてこないか見張っていたそうで、羽のある?イシジンたちが創り(変化させ?)住んでいたそうです。
急な山道を人間が無数の巨石を運び上げることは、到底不可能です。

5月16日、追加
日本の山城のことは知らなくて初めて登ったのですが、日本3大山城はもっと高い所にあったようです。
備中松山城・美濃岩村城、大和高取城。

http://www.tomorrowearth.com/2008/08/takeda-castle.html
さんに全体像があります。


2009年5月15日(金)

武田城 跡(兵庫県朝来市)

 

353mの小山の頂上にあります。(松の木の元)
近くの町の利神城跡も373mの小山の上に同じように残っていますが、こちらはたどり着けません。
利神城跡
http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/rikan.htm
さん


2009年5月10日(日)

浅い水槽?

 

ポンペイやオスティア・アンティア遺跡などのあちこちで見られますが、その時は何の目的であるのか意味がわかりませんでした。
帰国してからの《夢》で、このような水槽の上に、白い腰の部分が何体も浮かんでいる?のを見ましたが、水槽の上でイシジンの身体の部分が創られた?ようです。
その後、鈎針のイメージを見たり、白い糸で綴じ合わせる夢をみました。
まだはっきりとはわかりませんが、どうもそれらを綴じ合わせて人間型のイシジンを創ったようです。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20090510005320


2009年5月9日(土)

太陽の花

 

オスティア・アンティカ遺跡は太陽のイシキが降りてきたということですが、ここにだけ咲いていたガーベラとタンポポの中間の大きさの花。


2009年5月9日(土)

太陽のマーク

 

オスティア・アンティカ遺跡は太陽のイシキが降りてきたと伝えてきました。
太陽の王は、イシカミの原子たちに「好きなものになれば良い」と言った事で、ひし形のマークが多く、チョイ悪のイシカミやシリウが協力したようです。
その自由にさせるということで原子がレンガや大理石などの柱や建物になり、そのイシジンの思いを持った原子がなった人間が、欲望のままに生きるギャングになったそうで、太陽が反省していました。

そのことを遠く離れた日本では、雲と太陽であらわして、
Ω(=最後を表す文字)で太陽を包んでいました。
http://plaza.rakuten.co.jp/ayumi6336/diary/200905030001/
さんの「Ωで包まれた雲」
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2009050315...
さんでも
太陽に黒い雲=悪者が近づいていたことを知らせています。