ソラ画像

2012年7月30日(月)

【2022年4月12日追記】ソラの家で浮き出た模様

 

【2022年4月12日追記】
↓の出来事があり、別の日はしっかりと確認して着てきたという白いTシャツに、今度は小さな髑髏がズラーと並んで出てきて、当時はなぜかわかりませんでした。
今わかったことは、アト達の抗議の仕業でした。
千成さんは岡本典明の日月神事を信じてHPを書いていたけど、桃一太郎というチャネラーを信じ、宇宙人が攻めてくると思い込み、半年くらい四国の山奥でキャンプ生活をしたり、想像を絶する食料などの備蓄を10年以上していました。
相談を受けて訪れると、持ち家の5部屋は歩くスペースを除いて、全て食料などで埋め尽くされ、別の場所の建物には、地下室を創り、11人が止まれるような部屋まであり、灯油をはじめあらゆる電化製品で埋め尽くされていました。
特にお米などは、古くなるとボットントイレに捨てていたと笑っていましたが、そのような食品になったアトたちが警告していたようです。
簡単には書ききれませんので別にその後のことを紹介しますが、岡本典明が知らせるようにとビジョンを見せてきました。
・・・・・・・
ソラの家に来られた時は、下の方の模様は上のほうと同じ模様で、本人さんも全く模様は知らなく、白地と銀色のかすかな模様?と大きさだけで選ばれたそうです。
勿論、模様がはっきりわかっていたら買うわけないと。

ソラの家でお話をしていて、割りと短時間で銀色が浮き出て、驚きの模様になりました。
これはチョイ悪アト君たちが、結合して模様を浮き上がらせ、支配されていますよと警告をしてくれたのです。

この方はとても大きなイシキの持ち主で、ヘビ使い座にねらわれ支配され、知らぬ間にこのような服を買うようにされたようです。
見えない世界は、本当にこのように本人の知らない間の支配されていることがあり、驚くばかりです。
ちなみに骸骨の絵は流行っていますが、そのようになりたいと意思表示しているのと同じです。


2012年7月25日(水)

エジプト死者の書=直訳は日下出現の書」となり「日のもとに出現するための文」=イシジンが地上にでて活動するための教科書

 

この画像はネットからなので残念ながら一般公開は出来ません。
エジプト死者の書=直訳は「日下出現の書」となり「日のもとに出現するための文」=イシジンが地上にでて活動するための教科書と言えます。

口開けの儀式は、イシジンから半イシジン?になって、口から食べ物を食べることを教えています。
顎の下の管があごひげと言われていますが、食べ物のカスを捨てる管で、実際の像には穴が空いていました。
付け髭であれば、穴は要らないです。

ミイラはイシカミの原子がしっかり結合できないので、お汁で創った包帯で巻いてしっかり固定をさせ、それから女性二人が頭に手を当てているのは、頭から脊髄を通って髄液や神経が通っていることを知らせています。

又ミイラの臓器の壷と呼ばれるのは、臓器がその壷の中で創られ(原子が結合し)てから肉体の中へ入れるという、これまでの説とは反対です。

この死者の書の最後は畑仕事などするというのは、地下のイシジンが地上へ出て畑仕事をしたり、口から食べ物を食べたりすることを教えています。

ヒョウの毛皮のイシジンは支配星に支配されたもので、水タバコを渡そうとしている。
緑のテーブル?の下のドーナツ状のものは、いて座の原子で出来た山をあらわしているようです。
いて座は平等なので、中央が凹んだ丸いものであらわします。

秤で壷と羽ペンを天秤にかけているのは、貴重なものと羽ペンで書かれた言葉が同じくらい大切なことだと知らせています。
犬はシリウスで言葉を教えたので、余計怖い動物でしっかりと厳しく知らせています。


2012年7月17日(火)

《追記》大仙(仁徳)天皇稜と履仲天皇稜

 

手前の古墳は大仙(仁徳)天皇稜に比べて大分小さいです。
これらはイシカミの原子たちが、粘菌のようになって山から移動してきたと知らせてきていましたが、雲で再び同じことを知らせてきました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2012071720...

すなわちかっては日本海と瀬戸内海はなかったので、太平洋の海水を飲みにイシカミのミナノコの原子たちが連なって大山からやってきて、この形で固まったと。
頭部の半円はいて座、身体のやや裾広がりの長方形はシリウスをあらわし、それが合体したのが、前方後円墳です。
(円墳だけとか四角の塚もあります)

《2012年7月18日追記》
この形は子供のミナノコをあらわし、小さな手は”手をつないでやってきた”ことをあらわしています。
(以前はイシカミが固まった最後の形のΩをあらわしたとも言っていたが、どちらも正しいと)

明治政府が出来るまでこれらには自由に出入りが出来ていたが、明治政府が天皇家を巨大な勢力を示すために、勝手にこれらの塚を天皇家のお墓にしてしまったのです。
そして未だに田舎であろうが、立派な塚は全て天皇家と関係があると、立ち入り禁止とし、学者さんさえ入らせないようで、ソラは一貫して厳しく天皇家、宮内庁を弾劾しています。

大昔、食料を得ることだけで一日が終わったでしょうに、この塚と人間の大きさを比べて、果たしてたった一人の権力者のためにこのような巨大なお墓を造れるでしょうか?人は点にも見えません。


2012年7月17日(火)

大仙(仁徳)天皇稜

 

これほどの大きさ、数のお墓を作ることができたでしょか?


2012年7月11日(水)

パルテノン神殿

 

修復が進み、ナポレオンが大砲で屋根に穴をあけた部位も修復されていくようで以前のほうが良かったと思いました。
ギリシャに行く計画を立てていた頃、そのことを知らない読者が撮られた雲が↓で、ひとつのイシカミの塊から建物になったことを知らせてきました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2009091808...