2009年6月4日(木)
オスティア・アンティカ遺跡のモザイク画
イシカミの原子たちが結合することで、形を表すことができますが、最初はしっかりと原子が結合をしないので、肉体ができても軽くて浮き上がったそうです。
そして風船のようにふわふわと落ち着かないので、ここのイシジンたちは、長い尻尾のようなもので木などに巻きついておちついたそうで、長い尻尾はヘビに支配されたからではないと伝えてきました。
羽のない人間が飛んでいるようなモザイク画と、全く同じ岩絵がアフリカの砂漠の中にあり学者によって「スイマー」と呼ばれているそうですが、砂漠の中に川があって泳いでいるのでなく、同じく原子の結合がゆるくて浮き上がっている姿です。
99年ごろのソラからのチャネリングで、アトランティスでは人間(イシジン)が浮き上がって移動していたと言っていましたが、イタリアの遺跡はアトランティスの文化を知らせるために残ったということとつながります。
日本での羽衣を来て飛んでいるのと同じです。
オスティア・アンティカとは
『実在したものを”押し付けて,安定して”(モザイク画として)残した』という意味の名前の遺跡です。
2009年5月22日(金)
ポンペイのモザイク画その2
↓のと共に2007年の穀物模様の未解読のと関係ありました。
http://sora.ishikami.jp/cropcircle/index.php?id=325
のNO312の模様です。
2009年5月22日(金)
ポンペイのモザイク画その1
2007年の穀物模様の未解読のと関係ありました。
http://sora.ishikami.jp/cropcircle/index.php?id=325
のNO312の小さなたくさんの三角は、小さな悪者=ベガのエンジェルをあらわします。
2009年5月20日(水)
張りぼて?大理石2
一部がレンガのままの部位と大理石に変わっているイシカミの原子。
それぞれ原子たちが、思いを持っていることをあらわすために、自分たちの思うままに変化した結果の石柱
2009年5月20日(水)
張りぼて?大理石
バチカンの内部の大理石
一枚岩からできたと思っていたのですが、内部はレンガで形つくり、(その後レンガのままか、大理石に変化しているかわからない)その上に大理石の成分の粉を練り合わせたものを塗って、その上に「サランラップを張りました」と言ってきたのは、表面の原子がサランラップのような成分に変化したようです。