ソラ画像

2008年11月4日(火)

西谷四隅突出型古墳群(出雲市)

 

四隅突出型古墳は以前に知らされたこと(四足動物をあらわしている)とは別の意味もあるということです。
すなわち最初の地球は、イシカミたちは長方形の形に固まったが、地球が丸くなるために、四隅のイシカミたちは分解して、新たに丸くなった地球上に降りてきあちこちの三角山などの低山になったと知らされていますが、その「四隅のイシカミたちも仕事をしているよ」と、この形にあらわしたそうです。
この形は主に西日本にあり、特に島根県に多く、近畿地方にはないという特徴があるのは、近畿地方、特に倭の国が滅ぼされヤマトに支配されていたからだそうです。
すなわち、近畿地方に降りた四隅のイシカミたちは、自分たちのことを伝える形になることを、支配星に止めさせられたからで、代わりに小さな古墳になったり、低い山になったりしたそうです。

http://www.hist.shimane-u.ac.jp/kouko/List.htm
さんより


2008年11月4日(火)

荒神谷遺跡(出雲)

 

二つの小山の間の田は、大賀ハスで埋め尽くされていますが、ハスの花はきれいだけどその下は湿地帯で、リュージンが住み着いていたそうです。
きれいな花が咲き終わってハスの実は黒い実がたくさんできるのは、宗教のきれいな言葉の中には、支配星の悪者のエネルギー体が育っていることを知らせています。
この谷の奥に沼があり、リュージンがイシジンに乗り移って争うのを楽しむようになり、最初はイシジンは運動のためにしたことが、リュージンによって醜い争いになっていったのです。
左側に銅鐸などが出た小山があり、向かい側の山にも「荒宮」という小さな祠があり、二つのイシカミが競争をしたようです。
右手の奥にさらに大きな池があります。
ハスの種
http://www.photolibrary.jp/img56/13033_172902.html
ここらあたり一帯?は【神庭】と呼ばれていたそうです。
イシジンたちが運動会をしていたのでしょうか。


2008年11月4日(火)

荒神谷遺跡(出雲)

 

↓に並んであるのは銅鐸と銅矛で、銅鐸は以前イシジンで人間の指導をする教科書とつたえられましたが、ここのは模様が単純で、単なるイシジンの試合の開始を告げるイシジン?だそうです。
時々×の印がついた銅鐸が出てくるのは、争いばかりは良くないということを知らせているそうです。


2008年11月4日(火)

荒神谷遺跡(出雲)

 

小山の中腹にまとまってあったのは、この小山のイシカミのイシジンが、向かいの小山のイシカミのイシジンと、イシジンの体が固まらないために運動そしようとイシカミの原子が青銅剣に変化したそうです。
(ちなみに向かいのイシカミは石を投げていたそうです)

真ん中の列の青銅矛(剣)の3本だけが、きちんと並ぶのが嫌で列をずれたけど、それを人間が発見したそうです。
このようにそれまでの決められた通りにしていたのでは進化がないけど、このようにちょっとずれることは遺伝子でも同じで、少しずつ変化していったことがいろいろな遺伝子の組み合わせができて進化していったともいえます。

ここを見る前?だったか、ムウラが降りてきて、ユダヤ人のムウラが青銅よりよく切れる製鉄技術を教えたので、青銅が終わったと伝えてきました。


2008年11月4日(火)

出雲大社(古代神殿心御柱)

 

柱が田の字型に並んでいるのは、オオクニヌシは最初に農業を教え、田(文字はヒミコが考えた)の作り方を教えたからで、初期にビジョンなどで知らせてきています。