2008年9月22日(月)
ノアの遺体?宝達山頂上
ソラの情報では、早くからユダヤのノアとムウラの親子(共にイシジン?)が日本に来て、ヒミコの娘と一緒になって生まれたのが山彦、その山彦が治めたのが倭の国の始まりと伝えられています。
ノアはムウラと一緒に大江山近辺で製鉄を教えていたが、ヤマトに追放され石川県にたどり着き、籠に入れられて亡くなっり、その後、宝達山に葬られたとたと伝えられています。
その宝達山へ行くとノアが降りてきて、山頂に岩になっているので来て欲しいというので細い道でしたが車で行けたので行ってきました。
頂上には沢山石碑となってありましたが、ノアの身体(=イシジンだった)がこの岩になったと。
カニに似ているのはノアはカニ座から来たとも伝えてきました。
(書き終わると右足首にサインあり。紹介してくれてありがとうと)
ちなみにイスキリもチャネリングで生駒山の石が墓石だと言ってきましたが、イスキリもイシジンだったのであの形になったそうです。
2008年9月22日(月)
能登半島の有料道路に入る前
延々とサルビアの花が出迎えてくれました。
何を意味しているのかと言うと、倭の国をヤマトが滅ぼした(血を流した)ことを伝えるために、(インスピレーションで)サルビアの街道にさせたそうです。
やはり日本海は草原で大陸とつながっていたが、リュージンが中国から来るというのがわかったので一部が沈んで日本海になったが、能登半島はノアたちが通り過ぎないように止める為に残ったと。
又、カマの形になっているのは、オオクニヌシが大きなカマを持って日本へ来たと言うことをあらわしているそうです。
半島にしては家が多いのは、落人説もあるでしょうが、かっては平原だったので多くの人間がいたからのようです。
2008年9月22日(月)
見附島への渡しの岩
このような岩が島の近くまで組んであります。
イカやタコや子魚が寄ってきました、
小さな丸い穴が無数に開いていて、砂浜の小石も軽石のような軽い石でした。
2008年9月22日(月)
見附島
【2015年4月17日追記】
小豆島の海岸の岩が、見附島に似ています。「お兄ちゃん」と言葉が出てきました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=201504172114...
この情報の初期に降りてきた小さなイシカミだったが、水星の王子がイシカミの身体を借りたようです。
人間のためのコンロになるように柔らかい岩になったそうで、水星の王子は地球の中の地下宇宙にいたので、ろ過された水だったので、ろ過をしなくても良いと、イジワルな支配星に教えられて、腎臓で濾過することが大切ということを人間に教えなかった。
丁度、顔のように木が生えています。
左側の小さな岩は小鳥のようで、小鳥座と仲良しでこの島に夕方カラスがそれは沢山戻ってきました。
2008年9月22日(月)
福井県王山古墳
沢山(49基のうち11基の発掘)古墳が山頂に並んであります。
いずれもここでイシジンが創られて、それらが権力者となったようです。
古墳はきれいに手入れがしてありますが、どのような形で並んでいるのかという案内図はありません。