2008年2月13日(水)
星原の旧子供の家
全く思ってもいなかった星原の小さな家のことをチャネリングで知らせてきました。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080210000325
以前は子供の家として、本当に小さな家がありましたが、今はこのような村の建物になっています。
キミヤマ(城山)の真向かいにあり驚きました。
長方形の家は神社の隣の集会場で、子供の頃そこで雨宿りをしていて、一度に5,6本の稲妻が降りるのを見たのを今も鮮烈に覚えています。
2008年2月13日(水)
星原の横穴
これはいて座の王の一部が降りたと伝えられた小山の裾野にあり、周りには家はなく、離れたところに今はなくなった白木家の本家がありました。
星原にもこのような横穴が5箇所(一箇所は崩落)ありますが、遺物がなかった(徹底してヤマトに破壊された)と言うことと、芋穴として利用されているので全く遺跡として認めていません。
(この時は穴の中に入らなかったのですが、後程、同行者さんたちが入られ、割と広かったようです)
1998年に綾部市教育委員会から発行された【綾部市遺跡地図】には、吉美のどの村の遺跡も多く記録されているのに、星原だけは全く無視をされ、有岡との堺の山の《星原城跡の城館跡、主郭、堀切》と記録されているだけです。
【2021年9月4日追記】
完全に崩壊していますが、この時は地蔵の石像はなかったのに、ここも仏教で支配しようと思ったのか後から置かれたようです。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20210904232...
2008年2月13日(水)
太陽に雪だるま?三田にて
今年は猛暑ではない?
(ホテルからで下部は窓ガラスに写っている模様)
2008年2月7日(木)
いて座の爺や?と五天山
高い山は手稲山について降りた爺やのイシカミと言ってきた手稲山の近くの山で、それがこのような雲で知らせているそうです。
手を広げたようで、胸の部位(=胸腺の位置)が見る間にあかるくなってきたのも意味があるようですが、今のところその意味がわかりません。
真ん中の手前の雪をかぶった横顔のような段々山が、日本のピラミッドになりたかった五天山。
2008年2月6日(水)
札幌雪祭り
この雪像はとても表情豊かでした。
洞爺湖サミットに向けてこの両脇にはピサの斜塔、ビッグベンなど7カ国のシンボルがあります。
この他アブシンベルの雪像もありましたが、顔の表情がいまいちで残念でした。
氷像もきれいでした。
ミニSLや氷の滑り台、スケート場、スキーなどができるミニ斜面などもあり、外国の人が以前より多くなっているようです。