【イシジンと人間の物語】

2008年1月20日(日)

【イシジンと人間の物語】

 

これまでの物語は”ソラの宇宙物語”をお読みください。イシカミの意味がわかります)
http://sora.ishikami.jp/stories/universe.html

宇宙から降りてきた、思いを持った原子たちは、クラゲのような形で降りてきて地球のおいて色々なものの形になっていきました。
その思いを持った原子の集合体をイシカミと言いました。
イシカミの身体の原子は自分の思う通りの形になれたので、それぞれの目的に合った形になりました。
大きな山のような巨人から天使や小人のようなものまで、いろいろな形になり、今の人間の形が一番良いことに気付きました。
そしてイシカミの身体の山や丘にある横穴や石室で、その親のイシカミと同じ成分からできた石の人間「イシジン」になりました。
地球中にいろいろなイシジンがあらわれ、彼らが楽しそうに暮らしているのを見た支配星は、イシジンだけに地球を独占させまいと思いました。
それで支配星はイシジンを固めて石にする計画を立てました。
イシジンはそのことを知ったので、固められないうちに子孫を残せるようにと、地球を応援する星達に応援を頼みました。
これが地球に人間が生まれた本当の理由です。
星達の応援で、イシジンの身体の原子は、イシジンだった時の人間の形を覚えてから分解して、ストーンサークルや石箱(石棺)の中でイシカミからエネルギーを貰って、今の人間と同じ仕組みであらわれました。
最初の頃にできた人間は食べ物からエネルギーを得るのが難しく、弱くてすぐに死んでしまいました。
それでイシカミは人間のために、食べておいしくて栄養のある食べ物を作り出しました。
日本にいた人間はそれらを食べて、早くからイシジンの助けを借りずに自分達だけで生きていくことが出来るようになりました。
イシカミやイシジンが人間の元であり、食べ物などを与えて人間を見守ってきたのに、イシジンが亡くなって土や石になると、支配星は人間達にイシジンのことを隠してしまいました。
遅い時代まで人間の世話をしていたエジプトやヨーロッパのイシジンは、そのことを知ったので、人間の形の石像などになって残ることにしました。
エジプトではイシジンが壁に入って壁画になり、人間がどのようにしてあらわれたかを絵であらわしています。
またイシジンの身体の原子はもっと細かいものに分解して、モザイク画や絵としても残りました。
けれども支配星は、どのような遺跡も人間が造り、イシジンの存在は神話の上だけの話だと教えてきました。
そして支配星の教えた宗教で自分達を崇めさせました。
その教えの違いでこれまで人間が争いばかりしてきたのは、それをゲームのように支配星が楽しむためでした。
エジプトのアブシンベル神殿の頭の上の壷はイシジンの栄養源(イシカミが溶けたもの)を入れるもので、アゴにあるのは口から食べて味わった物のカスを捨てるものです。

※イシカミが大地を固める前の地球は非常に高温でした。
そこに突入した勇気あるイシカミは黒くこげてしまったので、それをあらわす黒い肌と縮れた毛の人間を創りました。黒い肌は地球を希望の星にしたあかしなのです。
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2005年6月1日(水)【ビジョン】
“白い丸の周りに稲妻のような白い光が5、6本降りてきて、丸の中で2、3人?がごそごそしていると赤ちゃんのような顔が出来上がる”
↓の画像参照。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20050601210142
意味は
「ストーンサークルの中に射手座のものがエネルギーを送り込んで、名のない星たちがイシカミの原子に指示を与えて人間 (大人) を創った事を知らせたのです。
まず、最初に心臓が作られて大人の体が創られました。

そして最初の人間はホシノミナが降りてきた所 (綾部市星原) のストーンサークルで創られました。
そしてそこから数千人も出て行ったのです。
けれどもそこのストーンサークルはヤマトに壊されたのです」
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2006年9月4日  夕方
 日本のイシジンのことを考えていたら、右手の平にややきついサイン2回あり。
とてもかすかでなかなかわかりませんでした。
「死んでしまったイシジンです。
日本にもイシジンはいました。
イシカミの身体の一部原子が、より固くなってイシジンが生まれました。
それが横穴や縦穴です。

そして (別のイシジンの分解した原子が結集して空間に) 人間があらわれると、人間の指導をしました。
それはお乳を飲むように教えました。
お乳は山羊の乳です。

そして眠るのはイシカミ (の山の) 麓で寝ました。
人間は何も知らないので、いつもそばにいました。
口から食べる物を教えました。
それはイシジンの足元に生えてきました。
イシジンの身体の一部が食べ物に変わったのです。

私はトヨウケと呼ばれたもののイシジンです。
食べ物は稲も豆も菜っ葉も出来ました。
栗や柿も皆に分けました。
なんとしても人間に生きて欲しかったからです。
歯で噛むことも教えました。

(人間は) 何度も死んでしまうので涙が出ました。
(右腕にサインあり)
人間に(物事を) 伝えることがなかなか出来ませんでした。
それは忍耐のいることでした。
煮るということも何度も親に教えました。

人間は土で入れ物 (土器) を作ることは出来ませんでした。
小さなイシジンが作りました。
イシジンは横穴や縦穴で生まれました」
今朝方のイメージ“洞窟の前に大小の足跡が横向にある”
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2006年6月20日
「エジプトの大きなイシジンの身体を休めるために、イス座*のものはイスに座ることを教えました。
イスに座ると楽なので、エジプトのイシカミは、大きなイシジンとなりました。
その他のイシカミの原子たちは、イシジンのために肥沃な土地になりました。

それはナイル川が氾濫することで、水とイシカミの成分の土とで“お汁”となるためです。
そしてイスに座ったイシジンの足元から、ナイル川からあふれた水は (お汁となって) 身体に浸透していったのです。
そして小麦が出来るとそれをお汁の代わり口からも飲みました。
それでエジプトのイシジンは元気だったのです」

1800年代のナイル川の氾濫?時のメムノンの巨像
http://egipto.com/museo/david_roberts/
より
http://www.egipto.com/museo/david_roberts/doc/203.html

* )イス座の星=イスラエル、イスラムの語源にもなったイス座のものが、中東の人たちと関わりが大きかった。

「それを見た支配星は、イシジンのいて座と建物を教えたシリウスだけの地球になると文句を言いました。
そしてソラのものを誘って、みんなが参加する人間を創ろうと相談しました。
そして人間が創られイシジンと仲良く暮らしていました。
それを見て、支配星は自分たちが人間を支配しようとして、イシジンを固めようと思ったのです。
それを知ったイシカミ達は、大急ぎでイシジンをたくさん創ろうと思いました。

それでカツパドキアやヨーロッパの地下墳墓で多くのイシジンが創られました。
一部のイシジンは自分たちをしっかりと形に残して、イシカミの存在を知らせるために、地下に残ったのです。
それが地下に埋もれている遺跡や像で、兵馬俑などもそうです」

「エジプトに動物との合いの子*がいるのは、動物を送り込んだ星たちが関わっていることをあらわします。
動物はそれぞれの星が地球にその考えを送り込み、(その動物になりたい原子によって) 動物が発生しました。
そしてイシカミとシリウスの考えた人間との合体を試みました。
それがまずいことになりました。
頭の部分のものが食べた物は、人間の身体では消化できなかったからです。
それで一代で終わったのです」

イシカミと人間誕生は、古墳と関係ありますが、そのことを繰り返し穀物模様(クロップサークル)で伝えています。
http://sora.ishikami.jp/cropcircle/index.php

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