2022年12月19日(月)
”3エ山古墳”(見瀬丸山古墳) 1
植山古墳から見た”3エ山古墳”(見瀬丸山古墳)で,歩いて10分くらいです。
右側のイチョウの木までが本体だったようです。
なくなった部分の原子たちが、メソポタミアへ渡った?
https://turkish.jp/turkey/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82...
左側の円墳部分は宮内庁管轄という事ですが、ほぼ放置状態で荒れていて、ヌスビトハギなど残っていて、きれいにされている植山古墳に比べて、封印して放置されていることを怒っていました。
同行者の多くが、青紫のヘビ使い座のエネルギー体を写して削除していますが、マ・ル山古墳とは、マ=ヘビ使い座にイノルという意味でそのことがも嫌だったと。
2022年12月19日(月)
奈良県 植山古墳 柱列 2
わかりにくいですが、向こうは方墳のようで、柱はサークルは作っていません。
2022年12月19日(月)
奈良県 植山古墳4
駐車場から登って行きますが道路が整備されています。テラスが複数にあります。
2022年12月19日(月)
奈良県 植山古墳3
柱列の下に驚きの古墳の発掘がされていました。
・・・植山古墳は東西40m、南北27mの長方墳(長方形の墳丘の古墳)である。丘陵の南斜面を利用し、墳丘部分を削りだすようにして築かれている。墳丘の東・西・北はコの字状に周濠が廻っている。墳丘には、東西に並ぶ2つの横穴式石室があることから、双室墳と呼ばれることもある。・・・
双室墳という二つの石室が並ぶのは珍しいです。
https://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunk...
より
・・・石棺石材は、熊本県宇土半島で産出する阿蘇溶結凝灰岩(所謂、阿蘇ピンク石)・・
という事ですが、ソラからの情報では
いて座からクラゲのようになって降りてくる時に、分かれた原子たちの集合体がここに降りて、石棺として仕事をしたと伝えられています。
ニ・ビルが出てきて、”2”のシンクロが多かったです。
二本の長い雲が結構長い事出ていました。
https://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=202212182...
今は工事中ですが、公開されたら見たいです。
ちなみに向こうに見えるのが、呼んできた3エ山古墳です。
2022年12月19日(月)
奈良県 植山古墳 柱列
これほど長い柱列は日本では初めてです。
石柱の長い列はヨルダンでしたが、ここから出て行ったモノが教えたとは言葉になっています。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20070111053...