ソラ画像

2019年9月30日(月)

東広島市 三ッ城古墳5

 

頂上部に3つの石室があります。
石室の中はカバーでほとんど見えませんでしたが、なんとか隙間から撮れました。


2019年9月30日(月)

東広島市 三ッ城古墳4

 

実際の石室は上にカバーがかけてあり、ほとんど全体像は見えなく残念です。
石室の中には壮年の男性の人骨と首飾り、櫛、腕輪、鉄の刀などがあったそうですが、
イシジンが創られた石室を、後年の権力者がお墓として利用したと、言葉になります。


2019年9月30日(月)

東広島市 三ッ城古墳3

 

後円に向かう通路に、このような石室の跡?があるのは珍しい?
何を意味するのか、今のところわかりません。


2019年9月30日(月)

東広島市 三ッ城古墳の大小のドングリと連結した実

 

とても大きなドングリは3cm?はあるのでないかと思われましたし、極小のドングリと、連結した実がなっていました。
毛利氏の家訓は3本の矢が有名ですが、実も連結すると大きくなるのを見せた?


2019年9月30日(月)

東広島市 三ッ城古墳2

 

都会の中に突然現れます。
葺石とハニワできれいに復元してあり、遊園地も傍にありにぎやかでした。
ただ、わざわざ古代のお墓ですと、大きく書かれていたのには、お墓とはっきりわかっていることではなく違和感がありました。
最近では特に日本国中、古墳は所せましと次々と現れていますが、大切な農地の平野にたった数人の死者のために、貴重な土の盛り土や葺石や、何千ものハニワなどの、このような工事に何年もかかるお墓を造るでしょうか?
ソラからの情報では、なぜ葺石を葺いて、なぜハニワがあるか?なぜこの形かを伝えてきていますが、いとも簡単な、けれども一貫してこれまで知らされたあらゆる情報とつながっています。