ソラ画像

2019年6月25日(火)

綾部市西原町 西原大塚古墳3

 


2019年6月25日(火)

綾部市西原町 西原大塚古墳2 磐座

 

地図に載っていなく、地元の方に聞いて山の中へ入っていくと、突然巨石がゴロゴロとありこの裏を下る?と、さらに大きな巨石があり、神社がありました。
綾部は巨石遺跡がないと思っていたので、驚きました。
植林がしてある?のもあり、古木も多くこれでもかという木星の支配を感じました。


2019年6月25日(火)

裏山の反対側2

 

ここは子供頃から草が生い茂っていて、このようにテラスのようになっていたのは、初めて見ました。
実家の裏側も、これより広いですが、このようにテラスのような畑があり、余りに古くて、土器なども出てこないですが、やはり知らせてきた通りの最も古い古墳でないかと思います。
すなわちいて座の王がここに降りたということと、そこから流れ出たイシカミの原子たちが、魚になったと伝えられています。
何回かビジョンや夢で、小さな星原川にたくさんの大きな魚がいるのを見ています。

段のある古墳のシンクロで天理の西山塚古墳が、段差のある古墳ですが、そこの茂みから見たことのない太くて100m近くのアリの大行列を見たと、メールがありました。
*)西山塚古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E5%A1%9A%E...


2019年6月25日(火)

【2019年7月7日追記】裏山の反対側1

 

【2019年7月7日追記】
先日、星原へ行った時、繁尾さんの奥さんは、野焼きをしていて火が移って亡くなられたそうで、無人となったそうです。
入母屋の真っ黒はそれを知らせていた?
・・・・・・・・・・・・・
この山の向こう側一面が実家の裏山になり、白木家の畑があり、その左側に山道があります。
左下の谷にも畑がありました。
昔はこの小山も頂上まで畑でした。
今回初めて裾野が伐採してあり、テラスのようで、やはり古墳だったのだと思いました。
手前が白木家の分家で、今回そこの奥さんが降りて?来て、タケノという名前でしたが、竹はいろいろと人間生活に役に立つと言ってきていました。
手前に白木家の本家といっていたのが、とても貧しくて京都へ引っ越されました。
子供心になぜ本家なのに貧しいのかなと不思議でしたが、実家が白木家の本家というと狙われるので、代わりに名乗っていたとソラから伝えられました。
ちなみに右隣は繁尾家でやはり監視役ということで、入母屋の顔の形でなく、真っ黒です。


2019年6月25日(火)

警告

 

ソラから知らされたことは、実家の裏山は、いて座の王であり、白木家のモノだったけど、プレアに支配された支配者や寺が南側と西側を、白木家が断絶させられた時に取り上げられたと伝えられています。
南面の3分の2は、明治政府により星原へ入ってきた柏原家、四方家、今井家のお墓がありますが、イシカミの反撃かあちこちがこのように崩れています。