ソラ画像

2019年6月24日(月)

綾部市西原町 申酉古墳の石室

 

道路側の反対側からの岩の表情です。
サルとりという名前を付けられて怒っているようにも見えますが、
サル(ジンム)をトる、という意味かもしれないと思いました。


2019年6月24日(月)

綾部市西原町 正光神社の社務所

 

イシカミのミナノコたちが集合していることを知らせているような、かわいい建物です。
小さな花が咲いて迎えてくれました。


2019年6月24日(月)

ソラからの情報の証拠の保存

 

平凡な農家の出の私にソラから知らせてくれたことは、本当に思いもよらないことばかりですが、実家についてでも全く同じです。
想像を絶することが伝えられてきましたが、それらが覆されるところか、次々と知らせてくれることは、全てつながっていくようです。
先祖が横穴から生まれたということでしたが、そこは「横井戸」と言っていました。
その一つが完全に寺の支配下の人に石垣で隠されてしまいましたので、看板を立ててほしいということでしたので、作ってくださったのですが、どうしても立てに行く気がしませんでした。
21日真夜中目が覚めて
「(イシカミの)ミナノコがさらわれたことを知らせてほしいのです。
峰にいたミナノコが雨で流されたということです。
そこへ見に行ってほしいのです」
と右親指にはっきりとサインあり。
「カンナビのある山です。
近くの山にいます。
(綾部の) 山家の山です」
どこのイシカミかなかなかわからなかったけど、いろいろ名前を出して、綾部の立石が浮かんで、ようやく綾部の山家の西原へ嫁いだ父の姉の叔母の関係のようでした。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20190624221...

一晩ほとんど眠れないままに22日に綾部に行って、皆さんのお陰で無事立て札を建てて頂きました。
三田市の羽束川の石を持って行ってほしいと以前言葉になっていて、小さなストーンサークルも作ってもらいました。
父の名前の白木国四郎とは、”国を知ろう”という意味と。
1月6日に来てほしいと言葉になり、明治初期の1月6日28歳で亡くなった先祖の白木文造の名前にしてもらいました。
明治生まれの父は、国からの理不尽な扱いを知っていて、黙って去って行った無念が感じられます。

【2020年7月2日追記】
この立て札は継ぎん行った時には、抜き去られ、実家の墓地跡で休んでいると、村人の一部の人が来て、「不法侵入だ」など暴言を吐きにやってきました。


2019年6月20日(木)

兄とイランのゴドさん

 

 

※この記事は会員用です。読者の方のホームページでも引用等はしないでください。

 

ネットで出会った頃のゴドさんは、翻訳家として日本人のある人を探していて、丁度その人の講演を聞いていた私が見つけて、ネットで交流することになりました。
当時はゴドさんもいろいろな事(翻訳しても国は認めない、デモで捕まったりして)があって、ビジョンでは段ボールから手を出して救いを求めているようでした。
その後、テヘラン大学に助手として勤めるようになって、大学で俳句の会で作られた冊子を持って、3・11の大震災の見舞いに、東北のソラ仲間さんの案内で行ってくれました。
その帰りにソラの家やソラ仲間さんのところでも、お世話になったりし、実家へも寄ってもらいました。
突然訪れたので高齢の兄は戸惑っていましたが、弟から私は家に入れるなという厳命があり、お茶も出せなくて申し訳ないと何度も言っていました。
兄は体も小さく弱者でしたが、とても働き者でした。
君山は小さな山で、兄もそれに準じたそうです。

左側のは霧島つつじで、古木が3本ほど続いてあり、春には真っ赤になりますが、これも思わぬことを伝えて来ました。
それは白木家はホシノベなので、何度も途絶えさせられたということを知らせていると。
家の周りには沢山の柿の古木がありましたが、山吹の大株も思ってもいないことを知らせてきました。
「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」
”みのひとつだになきぞかなしき”とは、家を途絶えさせられてきたことを知らせていると。

最も今生では、兄嫁と姪がプレアの乳母と女王というイシキが、白木家を断絶させるために降りてきたが、その仲間をしっかりと私の周りの人たち、特に弟と近くの姉に降ろしていたようで、極悪プレアの計画通りになりました。


2019年6月20日(木)

イランのゴドさん宅へ招かれて

 

 

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ゴドさんのご両親と奥さんと弟さんと、ソラ仲間さん