2019年2月5日(火)
三田市 有馬富士公園 福島大池の流紋岩
この池の傍で白い?大きなヘビを見たということで、近くにありながら行った事なかったので、穏やかなお天気で出かけました。
道を挟んで右側に小さな祠があるこの岩を撮った時、太陽の逆光もあったのですが、虹色の光が何枚も映って映っていないのはこれだけでした。
岩の溝が人工的に感じられました。
30分後の雲が
https://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=201902052...
で、その後3本の薄い縦雲になっていました。
その後、二組のカモの番いや幼鳥がこちらに向かって泳いできました。
2019年2月5日(火)
ビジョン
一瞬だけ見えたビジョンで、以下の意味もチャネリングなので、真偽のほどはわかりませんが、何かと当てはまるような報告がありました。
グレイが人間に入り込んでいるという情報は、死亡を確認されても生き返ったという人や、意識を失っていてその後、性格が激変したという人たちが関係しているそうです。
1)左側の大きな手が何かをつかんで向こうへ去っていくマンガですが、家がとても小さく、手が巨大でした。
意味は
「いて座のモノが、人間を掴んで支配していたという宇宙人、グレイを放り出したということです」
2)マンガの牛と思われる動物のお腹に、土星の輪のようなモノが光って回っている。
意味は
「おうし座と土星が一緒になって、グレイを放り出す手伝いをしたということです」
3)薄いモスグリーンがこの形で、極薄いブルーを掴んで左上に持って行く
意味は
「良い仕事をする木星が、割と良い仕事ではあるけど、地球上で支配していたモノを遠くへ連れて行ったということです」
2019年2月2日(土)
羽束川
夜中に目が覚めて見えたビジョンは、ごく簡単な、けれどもはっきりと川とわかるその一部がブルーになっているものでした。
そして羽束川に行って、そこの石で実家の横穴の横の畑にストーサークルを作ってほしいということでした。
久しぶりに羽束川に行きましたが、今年の冬は雨がとても少なく、川底の岩の露出が延々と続いていて、面白い形ができていました。
明らかに柔らかいイシカミを、巨人のイシジンが溝を掘ったようなのや足跡のような形があり、水が少ないゆえに聞こえる川の音もとても心なごみ、暖かな日差しの中いろいろ想像をして楽しんできました。
2019年1月30日(水)
白木家の横穴の上のお墓
 
※この記事は会員用です。読者の方のホームページでも引用等はしないでください。
 
白木家の横井戸(芋穴)の上に、兄が亡くなってから?石垣を組んでつくってありました。
お寺の下の家のお墓で、以前一番意地悪した人。
先日星原へ同行された方が送ってくださいましたが、見た途端に吐き気と激しい腹満になり、仏教のエネルギー体が入ったようでした。
2019年1月25日(金)
星の宮神社の前
2008年9月7日の画像です。
何年か前の夢で、小さな星原川の橋に下にたくさんの魚、それも大きな海の魚のようなのがいっぱいいる夢を見て、今でもはっきり覚えています。
知らされたことは、この上流でいて座の原子たちが魚となるように、大元が計画をしたという思ってもいないことでした。
そしてやはり夢で、この上流の土管のあるところがスタートだったと。
実際行ってみたら土管があり、驚きました。
この変わった形は古墳に見えると思っていたら、思わぬ言葉が出てきました。
ここは古墳で遺物が出てきたけど、ホシノベが伝えたことの全てを封印するために、この左側にいわゆる危険物の廃棄場としたと。
実際、昔は瓶や陶器が割れるくらいしか、不燃物はなかったのですが、そこに捨てに行っていましたし、子猫が生まれたらそこに捨てる風習だったようです。
今でこそ植林がなされて山になっていますが、この丘?の向こう側に、道があり遠くの畑に行く時に通っていました。
そこから見ると、子供心に変わった形の畑だったと思っていました。
この山に、プレアの王であり、木星の極悪王のイシキが降りてきて、支配してきたと。
ちなみに右側の上にお寺があり、子供の頃はここが遊び場でもあり、お経も教えられていました。
又、手前に公民館がありますが、小学校6年の時、雨宿りをしていたら、この向いの山の方に、10本以上もの稲妻が落ちたのをはっきりと覚えています。
そしてそのことが後年はっきりと事実だったことが、思わぬことでわかりました。
それは小学校の同窓会で、それも偶然見た同級生の文で、
「一番記憶に残っているのは、有岡のお寺に雷が落ちて燃えたのに遭遇したこと」
と書かれていたことです。
その有岡のお寺とは隣村の日蓮宗のお寺で、98年にプレアの女王がそこに行くように言って来たお寺でした。
ちなみに手前の田は白木家のもので、母が生前、タエコには何もしてやれんかったので、この一枚をやってほしいと、何度も言っていましたが、、。
2009年4月4日に左側の空き地に、三田の羽束川の白い石で
ストーンサークルを作ってほしいと言葉になり、地元の同級生の許可をもらって作りましたが、お寺の下の家の人から抗議をうけて、2009年4月11日にストーンサークルは君山の身代わりになった君の尾山に移動しました。
その後はイシカミの怒りをとても感じていましたが、2011年(平成23年)3月11日東日本大地震が起きました。
その後、綾部福知山地方でも、大洪水や大雨による山崩れがしているようで、1200年崩れなかったのに、という私市丸山古墳も何度か崩れています。
星原をソラの検索で調べるとたくさん出てきますが、情報は一貫してつながっています。
https://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20090424223117
サインが続くのは、言うべきことを知らせないからということで、これまで思っていたことを紹介しておきます。
(”1”はスタートをあらわすそうで、気になっています)