ソラ画像

2018年5月26日(土)

メダカの子(1号)

 

やっと生まれました。
2,3mmのおチビちゃんは元気に泳いでいます。
この後も一匹孵化し、卵も次々生まれているようですが、他のソラ仲間さんのメダカは数10匹も孵化しているそうで、他の方もそれぞれヌマエビやタニシもベビーラッシュのようです。

これまでメダカは人影があらわれると、サーと逃げて「ニギハヤヒ」と名付けていましたが、先日から餌を求めてか浮上してくるようになったのは、面白いシンクロで、他のソラ仲間さんも同じのようで、思い当たることがあります(笑)。


2018年5月24日(木)

綾部市 私市(キサイチ)丸山古墳 葺石

 

葺石はイシカミが降りてきた時は、ドロドロで流れ出るために、周りのアトたちが固まって石になったそうです。
この石はとても主張しているように見えたので、撮ってましたが、その夜に見えた
《ビジョン》
”このような石が積み上げてあり、この白い石の左横から、線だけの人間の形が出てきて、
中央部まで歩いてきて、再び左側の後ろへ入っていく”
という、とてもはっきりとしたマンガのビジョンでした。

この古墳では、以前は見た覚えがなかったピンクの小さな花が出迎えてくれ、裾の方にキイチゴの小さなのがたくさん増えていました。


2018年5月24日(木)

メダカの卵動画

 

画像が見えないときは、以下のリンクをクリックしてください。


メダカの卵


2018年5月24日(木)

綾部市 私市(キサイチ)丸山古墳 頂上部

 

これまで何度か行っていますが、頂上の画像を紹介していませんでした。
かってはこの一帯は、倭の国として大きな平野の国であったが、その後ヤマトから攻められないようにと、騙されて降りてきたミナノコのイシカミたちで、平野は無くなり、山国となり、完全に歴史から消され、高速道路で初めて遺物が出てきて、古墳とわかったそうです。
キサイチとは、聖徳太子の母のスイコ天皇が、物部氏を嫌ったために、その名前をつけられたと伝えられています。
この地方はこれまで何鹿(イカルガ)郡と呼ばれながら、それすら消されイカルガの名前は大和の奈良へ持っていかれたそうで、かっての倭の国の物語として、ソラから詳しく知らせてきた、証拠でもあります。
日本の歴史の最初であり、平等であったために、大きな古墳などは残されず、小さな古墳が周りには1000個以上あったそうですが、山彦海彦の物語(これも後年の権力者により争いの物語にされています)のように、自然の恵みだけの生活だったようで遺物も少なく無視されています。
大人と子供の鎧などが残っていたそうですが、物部氏とホシノベと関係していると伝えられ、これまで思いもかけないストーリーは全てつながって行っています。
ただ、現在の人間を当てはめるとつじつまが合わないと言われますが、年代はイシジンは分身ができたり、生まれ変わりがあったりで定かでありません。
弊社出版「ソラからの真実の歴史」ご参照ください。


2018年5月23日(水)

メダカの卵 「仲間が増えた」