2017年12月31日(日)
河南町 磐舟神社
駐車場を降りて険しくはないけど、道が2所で大きく崩れていました。
かがんでも入れない小さな入口で、鳥イシジン関係?
この他にの、巨石が周りにゴロゴロあります。
2017年12月31日(日)
河南町 磐舟神社
大阪府交野市の巨大な岩の磐舟神社と同じく、ニギハヤヒが祭られています。
タケルガ峰の麓の高貴寺で封印されたようでした。
2017年12月31日(日)
篠山市車塚の陪塚
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20171230211...
太陽と水星のミナノコの原子のエネルギーが、車塚の中の刀などの物質化のために働いたと伝えてきました。
その時に、良い火星は稲妻でエネルギーを送って協力をしましたが、悪い火星はオオクニヌシの鎌を聖徳太子が刀に変えた時にエネルギーを与えたと。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20171230211...
その悪い火星が、あちこちの火事で焼死者を出しているとも。
2017年12月30日(土)
ヤギの目
瞳が横向きの長方形と言うのが気になっていたら↓を知らせてきました。
ちなみにモーゼは角があったと、多くの像につけられていますが、やぎ座関係だったようです。
ヤギは乳を出して、人間の栄養としたことで、大きな役をしてくれたので、支配星はヤギを悪者としたようです。
物部の守屋もやぎ座と関係していたことを↓で知らせたそうです。
2017年12月30日(土)
ヤギの目の意味
物部氏の最後と伝えられた、春日富士の麓の神社の裏の巨石を見て、その後、篠山の車塚古墳へ向かう道中に見えたビジョンです。
薄赤いのはいて座、長方形はシリウスで、ヤギの目をあらわします。
真ん中の白い丸は、太陽をあらわし、左側へ移動し出て行く。
その後の言葉で、物部氏もモーゼと同じくやぎ座でもあったようです。
12月30日朝
「ナラに行った者が降りています。
甲冑をつけた男性です。
物部の守屋です。
いらぬことです?(見に行くことが)いらぬことなのです。
今に悪者のことを知らせることになるからです。
(倭の国の)宝物をナラに渡すことで、争いをすることはないということでした。
それで倭の国が守れると思いました。
けれどもそれは間違いでした。
聖徳太子はさらに要求してきたことは、倭の国をナラ(ヤマト)の支配下にするということでした。
そのことを反対すると、”飛んで火にいる・・・”と"千早赤坂村”において刀で攻めてきました。
けれども倭の国には刀がなかったので、車塚(古墳)で創るように指示をしましたが、刀になるまでに間に合いませんでした」
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080810105...
(奈良の正倉院の宝物は、倭の国にあったモノと、以前から伝えられています)
「(イシカミの原子が)刀になるには、焼くことをしなければなりません。
それには太陽と火星と水星の応援がいりました。
そのことを車塚古墳と両側の陪塚古墳で知らせています。
陪塚は太陽と水星のミナノコたちで、火星は雷となって物質化を応援しました。
けれども刀になるには、長い時間が必要でしたので、間に合いませんでした」
(それでそのまま塚の中に残った)
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20170130233...
「それで悪者は“飛んで火にいる・・”と言いました。
それをやらせたのが聖徳太子でした。
(聖徳太子の)刀はオオクニヌシの鎌を悪者の火星の力で創り直したのです」
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20091017094...
「その悪者の火星が世界中で火事を起こさせて知らせているのです。
物部の守屋の無念の思いが、硬い岩となっているのです。
その姿を見なくても伝えることができたので(わざわざ)行かなくても良いと言ったのです」
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20110228215...
「物部の守屋の岩になった、一部の原子たちが、人間の姿となって(綾部の(私市丸山古墳の)甲冑の姿となったのです。
子供はホシノベの者でした。
“和をもって尊し”と言ったのは、物部の守屋でした。
それを聖徳太子の言葉として(後世に伝えられて)いるのは、間違いだと知らせたかったのです」