2017年7月26日(水)
福井県小浜市神宮寺 閼伽井戸(あかいど)
奈良二月堂のお水取り行法の水は若狭井(東大寺)の水が 使われており、この水は神宮寺の閼伽井戸(あかいど)の水を3月2日に遠敷川(おにゅうかわ)の鵜之瀬へ流すこと(水送り)で 3月12日に到達するといわれている。(神宮寺 leaflet より)・・・
福井県の水がなぜ、奈良に到達するか?
今の地形では、到底想像できませんが、ソラから知らされている情報では、つながるのです。
すなわち、京都府、福井県、兵庫県に渡る広範囲な場所こそ”倭の国”で、日本海は平原で、
由良川なども瀬戸内海に流れていた。
ヤマトが倭の国を攻め滅ぼしたために、それ以上ヤマトに侵略させまいと、遅れてイシカミたちが一斉に降りてきたために盆地の山国になり、日本海も創られ、掘りあげたモノが、海のすぐそばの山になったということです。
ソラからの情報のノアが、ヤマトに追い出されて放浪の旅に出て、寄り道をしたところがこの神宮寺の湧き水を飲んだことで、当時はノアが鉄を教えて尊敬されていたので、この場所を守ってきたけど、支配され違う形で残されているようです。
巨石の前も池でその隣が湧水の池でつながっているようで、手前にごく小さな流れになっていて、四万十川の遺跡(北宇和群鬼北町岩谷遺跡 )と似ていると思いました。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20130815214...
2017年7月26日(水)
福井県三方石観音 鶏鳴石
弘法大師が夜中に石に観音像を彫っていたら、ニワトリが鳴いたので、右手を彫らないままで去っていたという言い伝えがあり、ニワトリの石像です。
各地で夜中に仕事をすると言うのは、太陽に照らされると、いわば泥人形のようなイシジンたちは、乾燥することを避けたようです。
それで遺跡の傍には川や池があり、海外の石像はジョーゼットのような薄い着物を着て
乾燥を防いだようです。
この岩の右手には滝がありますが、真っ黒い岩となり、リュージンが支配しているようでしたが、見たことのないくらいごくごく小さなカエルがいました。
2017年7月26日(水)
福井県三方石観音
自然石では後年人間が気づかないので、このような形になって人々の指導をしたようです。
このような石碑がぐるりと囲んでいる形は、先日見た千葉県の遺跡と同じです。
2017年7月26日(水)
福井県三方石観音
この寺院は巨石がゴロゴロした山道を上がって行くと、山城の跡のような苔むした石垣もありますが、このような石が積み上げられています。
色々な形をしているこれらの石は、イシカミの分身としていろいろな仕事をしていたようですが、人型の形になる前の自然の形のまま固まったようです。
2017年7月26日(水)
【7月30日追記】福井県三方石観音《木の手、足型》
海外ではエジプトのヒエログリフ、地中海の島々でもこのような体の一部の土器の遺物がたくさん残されていますが、イシジンは体のパーツを取り換えることができると、ソラからの情報では知らされています。
ここでは体の具合悪い部分の木の模型を持って帰って体をさすることで、病気が治ると昔から知られているようです。
その使われた木型を返しに来たのが、この横に無数に積み重ねてありました。
【7月30日追記】
《ビジョン》
”白くて骨のようなモノがいろいろな形で、それがびっしりと詰まっている。それが次第に消えていき、最後はとてもきれいな浜辺にその小さい欠片が波にあらわれていて、消えてなくなる“
浜辺は”コンタクト”の映画の浜辺に似ていました。白い棒状でいろいろな形がびっしりと詰まっているのは、石観音の木製の手や足型が積み重ねてあるのを連想しました。
意味は
「宇宙からやってきたミナノコたちは、何も知らずにまず骨になると人間になれると思ったのです。
けれどもそれ以上教えてくれるものがいなかったので、その骨のまま待っていたけど、分解してソラにあがることにしたのです。