ソラ画像

2017年4月4日(火)

出雲市  今市大念寺古墳 全室

 

謎?
江戸時代にはここに石箱が置かれていたそうですが、自然石?に囲まれた遺構のようで、ソラからの情報では、地下に穴が開いていて、そこで創られたイシジンが、奥の石箱を創ったと言葉になりました。
ちなみに上から落ちてくる水が溜まったようですが、イシジンは必ず水が必要だったので、よく考えていると思いました。

ウィキより
・・・前室にも組合式の家形石棺(小棺)が置かれたが、現在はその基底部のみを残存する。石棺の規模は、長さ1.81メートル(江戸時代の記録より)・幅1.08メートル・高さ0.82メートル(江戸時代の記録より)を測る。大棺同様、この小棺も身の横に口を開いたと見られる。・・・


2017年4月4日(火)

出雲市  今市大念寺古墳

 

石箱の内部です。
(石棺と言われていますが、ソラからは一貫してお棺でなく、イシジンが生まれた石の箱と伝えられています)
きれいなカーブを描いていますが、これが石とは思えないくらいです。
ちなみに棺(カン)は、力がン=終わりというので、管元首相の時に、
ソラから警告したのに無視されて、3・11が起き、本当はメトルダウンで東日本は壊滅的になる計画だったとも伝えられています。
メトルダウンをしながら終息したことは、科学者でも不思議だとは言われているそうです。

・・・「放射性物質が全部出てしまうわけですからわれわれのイメージは東日本壊滅ですよ」と語っている。このような恐怖感は、同じ頃総理官邸も共有していて、例えば枝野内閣官房長官は、福島第一から福島第二原発、東海第二原発へと連鎖的に事故が進むシナリオが頭の中にあったと後に語っている。2号機の格納容器が破壊され、放射性物質が大量放出されれば、10km南に位置する福島第二原発も放置さざるを得なくなり、東日本全体が汚染されるという最悪のシナリオが現実に迫っていた。実際には、2号機は圧力破壊には至らず、格納容器の繋ぎ目が壊れたり隙間ができたりして、部分的に放射性物質が漏れ出したのではないかとみられる。なぜ2号機が決定的に壊れなかったのかは解明されておらず、どのようなオペレーションが功を奏して事故が沈静化していったかも不明である。・・・・


2017年4月4日(火)

出雲市  今市大念寺古墳

 

側面に穴が開いていますが、その厚さは薄く、きれいに削ったようで内部もとてもきれいです。


2017年4月4日(火)

出雲市  今市大念寺古墳

 

これは奥室で前室にも同じようなのが江戸時代まであったようです。
ウィキより
・・前室にも組合式の家形石棺(小棺)が置かれたが、現在はその基底部のみを残存する。石棺の規模は、長さ1.81メートル(江戸時代の記録より)・幅1.08メートル・高さ0.82メートル(江戸時代の記録より)を測る。大棺同様、この小棺も身の横に口を開いたと見られる。・・・


2017年4月4日(火)

出雲市  今市大念寺古墳

 

とても大きな石箱で、横に穴が開いています。

・・この石棺は凝灰岩製で長さ3.3メートル・幅1.7メートル・高さ1.89メートルと全国最大の規模を測り,その蓋石には縄掛突起6個を有する。この大棺は身の横に四角い口を開いている。