2017年3月27日(月)
与謝野町立古墳公園の埴輪資料館 大風呂南1号墳
この公園の入口には「タニハ」のいわれが詳しく書かれています。
綾部市を含む丹波(タンバ)という地名は明治のころより、明治政府の指導のせいか、より「田舎」としても侮蔑の歌などがあります。
ウィキによると、「タニハ=田庭」からきているとも書かれていますが、
とても”広い田の庭”のようであった、というのは、ソラから伝えられている倭の国そのもののようです。
すなわち、倭の国の時は、広大な平野であったが、ヤマトに攻められてから、沢山の小さなイシカミが降りてきて低い山になったので、山國になったと伝えられています。
このような土器や鉄器が出てくると古墳と認められますが、何も出てこないとただの小山と思われています。
この古墳も今は埋め戻され木で覆われているでしょう。
何も遺物を残さない古墳もたくさんあったと思います。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mt2000/tango1.html
さんに、丹後半島などの古墳がたくさんの画像で紹介されています。
2017年3月27日(月)
与謝野町立古墳公園の埴輪資料館 大風呂南1号墳
右下の土器は初めて見る形です。
ガラスの釧は立派です。
2017年3月27日(月)
与謝野町立古墳公園の埴輪資料館 土器の模様
ここは二度目でしたが、初回時は蛭子山古墳(ヒルコヤマ)と読んでいて、ヒルのイメージがあり、あまり良いイメージはしていませんでしたが、アトたちの一番最初の形ということで、よく形に残してくれたことをお礼を述べてきました。
原子たちが、最初に手をつないで、小さな〇を創り、それが並ぶことで最初の具現化の形ということを知らせているようです。
2017年3月27日(月)
京都府与謝郡 二つ岩神社
こちらから見る岩の表情は、手前は幼い子供、裏は怒っているようにも見えます。
2017年3月27日(月)
京都府与謝郡 二つ岩神社
右半分が黒っぽく、おちょぼ口で泣いているような岩です。
同行者の画像には赤い光などが映り、宗教のエネルギー体に支配されていたからのようです。
近くの民家には、鬼瓦の代わりに恵比寿の瓦がふいてあります。