ソラ画像

2016年8月29日(月)

釧路市北斗遺跡

 

ぼやけたのしかありませんでしたが、掘り下げた部屋の中も窪みになっています。


2016年8月29日(月)

釧路市北斗遺跡

 

数はとても少ない小さな集落だったようです。
窪みの穴は、降りてきたイシカミが暖かだったのと、ソラからの情報では、地球の初期は水の膜で覆われて、雨は降らなかったと伝えられていますので、窪みだけでも住むのは丁度良かったようです。


2016年8月29日(月)

釧路市北斗遺跡

 

刻印記号のある高杯土器、
はじめて見るモノで、この模様に意味があるようで知らせてくださいと。
模様の意味が分からなかったのですが、その夜
「(釧路港の)港にいるモノと同じことです。
(釧路港に海上警備船がいた)その穴の中からだけ、お汁は出てきなさい。
とお汁のアトたちに知らせているのです」
ソラからの情報では、土器のツボの最初の目的はイシジンの食べ物である”お汁=泥水?”を入れるモノであり、その底からお汁を吸い取っていた、いわば哺乳瓶の役割をしていたと知らされています。
それを知らせてきたのは、イタリアのポンペイで、底が尖っている容器がたくさんあって、その意味を聞いた時に知らされました。
多くの土器は、底が平らでなく安定しなくて、器具を用いないと安定して置けないというのとつながります。


2016年8月29日(月)

釧路市北斗遺跡

 

きれいな模様が施されています。
底はとがっていませんが、大きいのは特に細くなっています。
読者より
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/grp/04/nenpyou...
弥生~古墳時代が北海道では続縄文時代、
飛鳥~平安時代が擦文時代の土器文化で、ここまでが多分イシジンの時代。
鎌倉時代以降がアイヌの時代となっています。


2016年8月29日(月)

釧路市北斗遺跡

 

ここのツボはそこが尖っていないです。
織物もされていたようで、糸や繊維も炭化して残っています。