ソラ画像

2015年11月24日(火)

日御碕のミニミニ柱状節理2

 

二つに分かれた岬は、片方は松の木があり、こちらはこのような岩でできた断崖絶壁です。
海岸には長方形の小石が多いのが不思議でしたが、これらが落果したようで、シリウスのミナノコのイシカミの分身のようでした。


2015年11月24日(火)

日御碕のミニミニ柱状節理1

 

以前は神社の方へ行ったのですが、今回は灯台の方へ行ってきました。
これまで見たことのない極小のミニミニ柱状節理で驚きました。


2015年11月24日(火)

出雲市西谷古墳

 

先回来た時は工事中でしたが、この中に発掘状況などが説明してあります。


2015年11月24日(火)

出雲市西谷古墳

 

四隅突出型墳墓と呼ばれるもので、山陰地方にだけある独特の形です。
以前からこの形は、最初の地球は四角くて、四隅の部分が分解されて丸くなったことを知らせていると、伝えられています。
そしてその分解した四隅のアト(原子)たちが、いろいろな仕事をしてくれていることを、強調して知らせたようです。
石棺や木簡が出ていますが、お墓ではなく、イシジンが形成された場所ということで、ビーズの首飾りはアトたちがしっかりと手をつなぐように教えるために、その中にあったようです。
そして刀は、倭の国を滅ぼしたヤマトをやっつけるために具現化したようです。
須恵器は、塚などイシカミの集合体の傍にあるのは、アトたちにその容器の上で食べ物として具現化するために置かれていたそうです。


2015年11月21日(土)

イシカミの分身

 

(画像は読者より)
雨が続くとこのようなワカメのようなものが生えますが、先日夜中に、イシカミの初期は柔らかなわらび餅のようでした。と以前から伝えられていることが言葉になりました。
そしてイシカミの分身はこのような形で、遠く離れた処で小山になったようです。
そして初期のころはエネルギーが巨大だったので、親から大きくなるように言われて大きくなった分身が、蔵ちゃん(蔵王山)と言った大きな山と、ずいぶん前に知らせてきていました。
「サン、サン・・」と言ってなかなかわからなかったのですが、サン・ペイ・サン(三瓶山)が大山の親だということでした。
そして、到底信じられないですが、三瓶山と大山がずるずると粘菌のように移動をして、堺市の履中天皇陵や仁徳天皇陵になったと、以前伝えられたことが言葉になりました。
そして移動する途中にいろいろなイシカミの証拠?となる島や巨石のものを残してきたようです。
それが瀬戸内海の島々や小豆島や淡路島、沼島、広島の帝釈峡、蒜山、岡山でオニが城、加古川の闘龍灘、生石、などになって堺にたどり着いたようです。
まだまだ瀬戸内海が創られた時代などでわからないですが、とりあえずお知らせしておきます。