2015年3月19日(木)
国津比古命神社(愛媛県松山市)
国津比古命神社の鳥居も湾曲しているのは珍しく、手前の石橋もカーブを描いているのは、イシカミが柔らかい時に形造られたと思われます。
この神社の主神は 天照国照彦天火明櫛玉ニギハヤヒコノミコトとあらゆる神の名前を集めているのが、ミナノコの集団と思われます。
物部氏も相殿に祀られています。
このそばに櫛玉ヒメ神社があります。
この神社では神輿を壊すそうですが、神輿は崇められたいエネルギー体の巣窟なので、ソラ的にはあっている神社です。
2015年3月19日(木)
国津比古命神社(愛媛県松山市)
これまで他にもあったかもしれませんが、この小さいけれど石橋の石のカーブが気になりました。
この神社の参道の真正面が鹿島でした。
2015年3月19日(木)
国津比古命神社(愛媛県松山市)
小さな瓦の?祠はちょい悪ミナノコのようでした。
2015年3月19日(木)
国津比古命神社(愛媛県松山市)
国津比古命はオオクニヌシの部下のモノと言葉になっていました。
仁王の代わりに門の両側にはこのような木像が立っていたのは、初めて見ました。
2015年3月18日(水)
瀬戸内海の海水の色
船が通った跡ですが時間がたっても海の色が違っているのを写してほしいと言葉になりましたが、意味がまだわかりません。
この後、鳴門の渦潮が深海のモノが引っ張ることでできるが、その渦潮が神の戸と言葉になっています。
意味はなぜかと思っていると、
「同じ海水でも、思いが違うということを知らせました。
手前の海水の原子(分子)たちは、穏やかにのんびりと過ごそうと思っていますが、海岸から離れると、勢いのある海流になって冒険をしようと思う海水の原子(分子)たちが流れているということです」
この後平家と源氏が争うことになったのも、考え方が違うからでした。
もっとも源は義経の文字を、兄と称して頼朝が取り上げた苗字です。
源 義経
http://sora.ishikami.jp/jiten/index.php?id=20150318204543