ソラ画像

2014年11月20日(木)

キプロス島 キロキティア遺跡(鷹の巣城)

 

↓の外部の様子です。
数は少ないですが、配石遺構があちこちにあります。
ここから20km位離れた次の遺跡のアマタス遺跡の後に登った山の遺跡が
鷹の巣城の女王の城だったということで、そこで思わぬことを知らされました。


2014年11月20日(木)

【2014年12月1日追記】キプロス島 キロキティア遺跡(鷹の巣城)

 

↑の内部で、太い仕切りではありますが、シェットランド島などで見られた鳥が止まる為のもの?でもあるようです。

【2014年12月1日追記】
《ビジョン】
“これと同じように白い部屋の真ん中に、太い区切りがある”
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=201411202019...
に似た模様で、ビジョンは真ん中はつながって完全に分離している。

意味は
「完全に分かれている形は、細胞分裂を知らせたのです。
この遺跡の形はイシジンは細胞分裂ではなく、隙間から出て行って増殖したことを知らせました」


2014年11月20日(木)

キプロス島 キロキティア遺跡(鷹の巣城) 

 

黒っぽい石が多く、悪をあらわしています。


2014年11月20日(木)

キプロス島 キロキティア遺跡(鷹の巣城)  

 

シシリーなどのヌラーゲと似ています。
こちらが鷹の巣城の王の城と言葉になりました。


2014年11月20日(木)

キプロス島鷹の巣城2

 

まだ開発中でもっとたくさん出てくるようです。
すぐ下は海で見晴らしも良く、鷹の様な鳥が3,4羽飛んでいました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2014111821...
も素晴らしく、気持ち良い風に吹かれながら下って行く時に思わぬことを伝えてきました。
それは鷹巣城の王たちが、ムーのラビ(神官)が甘やかしたので、乱れた世界になったというので、厳しい規則を創ったのが、ハン・ムー・ラビ(反ムーの神官)で、今のイスラム教の原点であるハンムラビ法典であるということでした。
ラビはユダヤ教の宗教的指導者ですが、イスラム教とユダヤ教の元は同じであるということでもあります。