ソラ画像

2014年9月13日(土)

雨の降らせ方

 

地震雲に投稿してくださった読者の画像ですが、昨日のお知らせのビジョンで
「雨の降り方、すなわち丸い空間の部分は降らせないことができる」と知らせてきたことを雲が知らせてくれたようです。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2014091221...

昨日のお知らせより
《イメージ》
“ホットケーキを焼こうとしている、布巾の中にホットケーキのネタが入っているが、そこからたくさんの水が出る”
”絨毯の上にたくさんの熱湯をこぼしたので、お皿ですくって瓶に入れている“
意味は
「雨の降り方の異常な多さを知らせたいので見せたのです」

この後の《ビジョン》
“薄白くてとても細かい縦線がびっしりと並んでいる。
それが左から次第に消えて行き、右端に少し残るだけになる。
再び同じく細い縦線がびっしりと並んでいるが、真ん中の縦線が消えて行き、丁度丸い無地が出て来る。
次にごく細い縦線がびっしりと斜めに右と左から出てきて、山形になる。
それも消えて行き、大きくて白い縦型の長方形が右側にあらわれる“
意味は
「薄白くて細かい縦線は、アト達が縦向きにつながって雨となって降っていることをあらわします。
中央の空間ができるのは、その部分だけ大雨を降らさないようにできることをあらわします。
最後の山形に重なった先が豪雨になっているのです。
白い長方形は、雨の指示を長方形の銀河が指示をだしていることを知らせています」

これを逆さまにしたビジョンは
《ビジョン》
“白い丸が二つ並ぶが、ひとつが消えて行く”

を知らせているようです。
この意味は分からなかったのですが、その後のビジョンで知らせてきました。
《ビジョン》
“二つの土瓶が並んでいるが。そのうちの一つが小さないくつかの湯呑に変わる”
意味は
「同じ形の土瓶は双子ですが、片方が湯呑に変わってくれたので飲みやすくなりました。
その様にお互いが必要として仲良くしているのに、阿修羅トアシュタールの双子なのに仲が良くないことを知らせました。
阿修羅とアシュタールは双子で、一方はイシジンとして残り、今では崇められているが
アシュタールの方は形がないので認められていないことに不満で、チャネラーに降りてメッセージを送っているのです」


2014年9月12日(金)

心合寺古墳出土の埴輪

 

八尾市立歴史民俗資料館展示解説のパンフレットから「水の祭祀場をあらわした埴輪」と説明してありますが、、。

パンフレットを見ていると、目に刺激ガスを浴びたような感覚になり涙があふれてきました。すぐに治まりましたが
「イトが閉じ込められたモノでした」
と言葉になりました。

【ソラからの真実の歴史】にまとめていますが、ヒミコの娘のイトは、ジンムにさらわれてヤマトで幽閉され、周りは逃げられないように池と柵で囲まれたと伝えてきていました
そのことを伝えるために、塀つきの家を残しておいたそうです。

書いていると、左下腹部と左足親指の付け根に5,6回のサインあり。


2014年9月12日(金)

ビジョン

 

先日見たとてもはっきりとしたマンガっぽいビジョンでした。
意味がなかなかわからなかったのですが、今朝知らせてくれました。

その前の《ビジョン》
“大きな薄白い丸が一つと、他は小さめの丸が13個ある”
意味は
「イスキリとその13人*の弟子をあらわしました」
(バーソロミューが入って13人、日本にはたくさんの地名などがあります)
その後の《ビジョン》
”とてもはっきりと白い鳥の大きな足、体は透明なのかわからない。隣には大きな白い羽だけ見えるが鳥イシジンかなと思われる“
意味は
「大きな白くて広がった鳥の白い足と白い羽のは白いオームで、2種類の言葉を発するイシジン。それがキリストで足だけのイシジンがイエスで地中海に残り、羽のイシジンが日本へきたことをあらわしました」

http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2014090922...
右側の縦雲が、下へひっぱられているのは、足のイシジンのイエスで、左側のは羽のついたイスキリをあらわしました。
オーム(繰り返して唱える呪文)

オウム、大きな黒い脚
http://australia-now.info/archives/3048
この後、
“その後、縦に白い長方形”
意味は
「縦に長い長方形は、長方形銀河が教えたのです。


2014年9月5日(金)

太子堂の神妙椋樹

 

神妙椋樹はあまりに醜いので載せないでと言葉になりますが、石の戸?が全開しているので紹介します。


2014年9月5日(金)

物部守屋の(分身)お墓のアップ

 

この閉じられた石の戸を開けるイメージをすることで、物部守屋の部下たち?が反撃をすることができると言葉になっていました。
一方、聖徳太子の太子堂の神妙椋樹の前の石の戸?は全開していました。

(このころ、複数の鍵の音がはっきりとするのでなぜかというメールの問い合わせが来ていましたが、このドアと関係しているようです)