ソラ画像

2013年10月2日(水)

ナグ・ジェ・ロス・タム【2015年4月17日追記】

 

【2015年4月17日追記】
ナグ・ジェ・ロス・タムとは少年のイシカミ?が、イシカミのことを伝えるためにいろいろ苦労をしたのに、そのことに気づかないで無駄な年月を過ごすことを「泣くぜ、大切な時間をなくすることを」として名前をつけたそうです。その少年がセルセ王になったことをヘンデルは、違う形で知らせたようです。

4月17日真夜中左背中と右足中指に同時にサインあり。
「ミナノコたちが知らせました。
今の仕事は良いことになります。
昨日はミナノモノが降りていたのでしんどかったのです。
ナグ・ジェ・ロス・タムのイシジンです。
(両足の先端にサインあり)
ペルシャのイシジンがギリシャの自分勝手なイシカミに、思いとどまらせようと出かけたのです。
ギリシャのイシカミは、イタリアと同じように足の半島になる計画でした。
それが嫌だとバラバラになったからです」
前夜にナグ・ジェ・ロス・タムの王の子供(ク)セル(ク)セス1世が「テルモピュライの戦い」の王だっと話をしていました。

朝起きたらクレタ島で地震が起きていました。
16-APR-2015 18:07M6.0 深さ 20 CRETE

ついでですが、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」(Ombra mai fù)はペルシャ王セルセ=(ク)セル(ク)セス1世)によって歌われる。詩は木陰への愛を歌ったもので、優しい王と言う感じがします。
ヘンデルはペルシャ王が悪者でないイシジンと知っていた?
後年の権力者がセルセ王の偉業を隠すために、(苦労のク)の文字を2か所も付け加えた名前で語り継がれてきた?

手前の半地下の建物は図書館と言葉になりましたが、
「ギリシャへ行ったことは、イシカミの思いを伝えるためだったということの記録を残すために、この建物を造っておいたのです」

イランの遺跡には砂漠の中などに突然このような建物が見受けられるようですが、それは石段を上がって建物の中に入っていくようになっています。
これはその反対で、地下に向かって石段があります。
この中に皮?木の皮?に文字を書いた遺物がたくさんあったそうです。


2013年10月2日(水)

ナグジェ・ロスタム

 

いわゆる王の墳墓と言われているののは、この画面の右側に工事中のがあり、それが一番古くて左に行くほど新しいようです。
そして戦闘をしているような、謁見させているような、支配をしている模様になっていきます。
もっとも3番目4番目の模様はほとんどわかりません。


2013年10月2日(水)

ナグジェ・ロスタム  

 

後年にソラを飛べなくなったイシジンたちが、自分たちもあがめてもらおうと思って入って固まったようです。
現地では気付かなかった足の周りのモノは、何とか浮き上がろうとしたもののようで、右側の神と思われている女性は、羽衣をつけているようなプレの女王でシリウスCのイシジンを誘惑しているようです。


2013年10月2日(水)

ナグジェ・ロスタム

 

フラーマズダーが支配者に知恵を与えているようですが、この頃はへびつかい座が降りていたようです。
これまでの平和平等の思想がなくなり、小さなミナノコたちを降伏させているようで、手を挙げています。
そのミナノコは右側のいわゆる拝火教の建物と言われている?小さな石創りの塔の中で創られたようです。
大きなミナノモノの権力者は、今は鳥が出入りしているこの下の門の中で創られたようです。

そしてこれらは高い所にあるのは、羽の生えたイシジンが利用していたか、原子の結合が緩いイシジンたちのよってできたもののようです。
それを支えているのが、ちょっとわかりにくいですが、双頭の牛か馬のあいのこのようなものです。


2013年10月2日(水)

ナグジェ・ロスタム

 

この遺跡のことを調べていた頃、この遺跡のビジョンを見ました。
それは今では垂直のがけになっていて残っていないけど、テラスがあってそれが崩落したビジョンでした。
ちょうど工事の足場のための板が、テラスのようです。
3つのうちここだけにツバメかハトが巣を作っているのか、たくさん飛んでいました。