2011年5月17日(火)
義経神社2
実際に静御前などが来たとは伝えられていませんが、お供のものが名乗っていたのかもしれません。
義経もイシジンでこれらもイシジンの別人格?
【5月17日追記】
これがイシジンだった義経の亡がらと。
本物の石かどうかはわかりませんが、ここに意識は残っていた?
2011年5月17日(火)
義経神社
北海道の平取(ピラトリ)町
2011年5月17日(火)
義経北紀行
チャネリングでもこれらの土地には寄ったそうで、最後は「湊から離れた場所」ということで今の義経神社のようです。
2011年5月11日(水)
ハトスエプスト葬祭殿
イシカミが岩山と製造建築物に変化したことをあらわしています。
ここでイシジンが創られたようです。
2011年5月11日(水)
カルナック神殿の羨道
読者より
遅くに降りてきたエジプトのイシカミは、単なる三角山になったのでは人間が気づかないのであのような形に増殖させたが、同じく塚の羨道も自然石にしたのでは気づかないので、動物の形にしたと。
石室と同じく意味でイシジンが創られ、この羨道を歩くことで山羊?になったイシジンからいろいろな知恵を教えられたということです。