2011年3月1日(火)
寺
 
※この記事は会員用です。読者の方のホームページでも引用等はしないでください。
 
星原の寺の階段。ここを駆け下りることでリュージンが育つようです。
春日町の阿陀岡(あたか)神社の前に日に星原の寺へ行きましたが、ここでも緑の対になったオーブ(阿弥陀・如代のリュージン)のを最初に見ました。
この寺は高台にあり、星原の家々を見下ろし支配するのにかっこうの場所でした。
ここの女性の住職は90過ぎている?のでないかと思われるけど元気?なのは、阿弥陀・如来のリュージンの化身(と書いていきました)。
プレの大王とは言って来ていて、強力だとは思っていました。
星原のことをチャネリングで言って来るも、正反対なようなのも、このリュージンにエネルギーをもらっているからのようです。
先日、白くて(住職は真っ白だった)大きな顔の人が、横たわり、自分で死者にかけるように白い布の顔にかけたビジョンを見たのはソラのもので、ここの住職をあらわすと言葉になりました。。
2011年2月28日(月)
物部氏の岩
春日富士で聖徳太子にやられた物部氏はどこにいるのかと思っていたら、ここ春日町の阿陀岡(あたか)神社に来てくださいと言葉になり行ってきました。
ミナシゴたちが物部氏のそばに行きたいと言ったのを、意地悪な悪いオリオンが石として引っ付けさせ、閉じ込めさせたために、このような大きなごつごつの岩になったと、言葉になりました。
岩に取り付いていたミナシゴやオリオンを切り刻むことでイシキはソラにあがったそうです。
この後、聖徳太子が思ってもいなかった法隆寺の屋根の醜いリュージンがその姿だと伝えてきました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200808211522...
今残っているリュージンは江戸時代に創られた?そうですが、その前は見えない姿のあの形で、倭の国から盗んできた宝物を取りに来ないように見張っていたと、これまでの情報とつながりました。
2011年2月28日(月)
春日町の阿陀岡(あたか)神社
小鳥や花や動物だけの彫り物は、コノハナサクヤヒメをあらわしているのかもしれませんが、ここには緑の光った小さなオー部が一対が何枚か写り、それが阿弥陀・如来のエネルギー体でリュージンということで切り刻みました。
そのリュージンが物部を閉じ込めていたようで、ようやくここでやられていた物部氏が出てきました。↑。
2011年2月28日(月)
春日町の阿陀岡(あたか)神社
泣いたような狛犬。もうひとつは笑ったような顔で、犬のようでした。
2011年2月28日(月)
春日富士