2010年10月13日(水)
鎌倉長谷寺2
長谷寺の裏の洞窟の中にいろいろな石像があり、小さな像を供えるようです。
2010年10月13日(水)
鎌倉長谷寺1
奈良の長谷から長野へ、次に鎌倉の長谷に来たという説があるようですが、
長谷(ハセ)の元はハゼ(土師)が変化したと。
ハゼ(土師)は倭の国であった福知山市に地名として残っていますが、土器を作っていたイシジン?
ハゼ=セが平等(ハは平らになる)背の高さが同じという意味で、イシジンの背は皆同じ高さ=平等をあらわしていたが、それがヤマトに行って支配星により巨人のイシジンを身分差をつけさせ、それが出雲に伝えられ、長野、鎌倉へ伝わっていったということです。
鎌倉の長谷寺には小さな像がたくさん並んでいました。
2010年10月13日(水)
鎌倉の大仏6
大仏の中、光の入るところを見てほしいと言葉になり、ここからリュージンが入ってきて、人間を支配していたと。
青い光はエネルギー体、丸い穴は頭の部分。
2010年10月13日(水)
《2012年10月2日訂正》鎌倉の大仏5
このような大きな石が7つ(8つ?)並べて置いてある(建物の土台といわれている)のは、7つの切り通しからやってきたチョイ悪のイシカミの分身で、大仏を見張っている。
2010年10月13日(水)
鎌倉の大仏4
台座の後ろにあり、ベガの尻尾をあらわす。