2009年7月27日(月)
綾部の熊野神社
並松町にあり、ミナツキサンの祭りでにぎわっていて、ここへ行ってほしいということでした。
建物の横にあった石で、”リュージンの卵”をあらわし、近くの大本教本部から逃げ出してここに隠れていたそうです。
(ここの宮司は大本教関係者のようです)
雲で卵のような形があらわれ、それが砕けていくのを見ましたが、栃木でも見られています。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2009072621...
ミナツキマツリはたくさんの夜店が出ていて、人も多かったですが、倭の国の時代もこのように”ミナツキサン=(海の皆さんが着きましたよ”と祭りのような賑わいだったことを皆に知らせてほしいということでした。
今年に入って何度か、ミナツキサンに行ってほしいと言って来たのですが、
このリュージンの卵で知らせているように、ここにいるリュージンの卵を切り刻んでほしかったようです。
2009年7月27日(月)
東洋一のメノウ
「シリウが知らせました」と長方形です。
若狭路の土産物屋の店頭にあり、隣にやはり東洋一?のアメジストの原石などたくさんあります。
アメジストの原石の方は、悪のイシジンの2本のお汁の角のようになって内部がアメジストが集まっています(気持ち悪い)が、それは載せないでくださいというのに対してこれは紹介してくださいと。
2009年7月26日(日)
福井県立若狭歴史民俗資料館
福井県立若狭歴史民俗資料館の土器ですが、「ここは一切撮影禁止、ネットで公開するのは余計禁止」と担当の女性が高圧的に言っていました。
色の変化するものはフラッシュ禁止として、石器などは撮影してもなんら影響はないので、今では多くの施設では撮影が許可されています。
http://inoues.net/museum/torihama_museum.html
なんかはしっかりと紹介していますが、このようにイシカミの仕事をできるだけ多くの人に知らせることこそ、今生きている人間の仕事なのに、それらの遺物を丸で自分たちの持ち物のような考えでした。
内緒で写したここの土器で、変わった形ですが、焼かれたのでしょうが真っ黒な土器(お汁の壺など)が多いのも珍しいと思いました。
2009年7月26日(日)
上中町丸山塚古墳
石室を壊してこのような記念碑にされてしまいました。
石室でさえこれなので、ストーンサークルは跡形もなくされたことは容易に想像できます。
http://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/kankou/category/page.asp...さんに元の立派な石塚の画像があります。
2009年7月26日(日)
福井県上中町古墳群
右下の家族のような集団の古墳群を見たくて行ってきました。
子供のイシカミが3人で、ちょうど現実の世界でもこの場所で兄弟げんかをしていました(笑)。
この古墳を両腕で囲むような低い山があります。