2009年5月9日(土)
太陽の花
オスティア・アンティカ遺跡は太陽のイシキが降りてきたということですが、ここにだけ咲いていたガーベラとタンポポの中間の大きさの花。
2009年5月9日(土)
太陽のマーク
オスティア・アンティカ遺跡は太陽のイシキが降りてきたと伝えてきました。
太陽の王は、イシカミの原子たちに「好きなものになれば良い」と言った事で、ひし形のマークが多く、チョイ悪のイシカミやシリウが協力したようです。
その自由にさせるということで原子がレンガや大理石などの柱や建物になり、そのイシジンの思いを持った原子がなった人間が、欲望のままに生きるギャングになったそうで、太陽が反省していました。
そのことを遠く離れた日本では、雲と太陽であらわして、
Ω(=最後を表す文字)で太陽を包んでいました。
http://plaza.rakuten.co.jp/ayumi6336/diary/200905030001/
さんの「Ωで包まれた雲」
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=2009050315...
さんでも
太陽に黒い雲=悪者が近づいていたことを知らせています。
2009年5月8日(金)
ローマの松の根
ローマの松は上の方に固まって形がクラゲに似ています。
クラゲ=イシカミをあらわし、根も日本の松の根のヘビのようでなく、このように丸くてイシカミをあらわします。
ローマの松は葉も日本ほど固くなく、人間はお互い助け合って生きていくように二本が合わさった形であらわしたそうです。
松から取れるテレピン油も人間のためになったと、木星の王が降りてきて伝えました。
2009年5月8日(金)
オスティア・アンティカ遺跡
思い思いの原子が集まってできたアーチ。
これが大きな意味がありました。
「どんな模様でもアーチになれば良いんでしょ」って声が聞こえてきそうです(笑)。
2009年5月8日(金)
大理石の石柱の中身
同行者に言われて初めて気がつきました。
外側は確かに大理石の成分のようですが、中身はレンガでした。
ポンペイにあった、石の粉を造る石器もここにあり、用途を知らせてきました。
茶色のコケはイシカミの色をあらわします。
後ろの松の皮も、日本の松に比べ、ウロコのようではありません。